【芸能】樹木希林さん 貫いた哲学 人間力と鋭い観察眼

 樹木希林さんに初めてインタビューしたのは1996年。ドラマ「はみだし刑事純情系」を撮影中の現場だった。当時、希林さんは53歳。記者6年目だった私は、鋭い観察眼と人間力に圧倒された。「女優、ってのは特殊な仕事じゃないんですよ。(芝居で)人間を描くには日常の事をやっておかないと。それができなかったら人間として恥ずかしい。人間の知性の問題ですよ」。“樹木哲学”は最期まで貫かれた。

 「あなたは一番聞きたいと思うことを(私が)話している時は、ノートを見ず、あたしの顔をじっと見たまま書くでしょう」。インタビューが始まってわずか10分弱。これまで一度も指摘されたことのない職業癖を、相手を笑わせながらの巧みな話術の合間に、一瞬にして見抜いていた“観察眼”。その後も希林さんに対峙すると、全てを見透かされているよう…という印象は変わらなかった。

 取材の1年前の95年7月、希林さんの1人娘・内田也哉子が俳優・本木雅弘と電撃結婚。この話をどうしても聞きたかった。なにげないトークで場を温めて…いざこの話題に下心たっぷりで移行すると、相手はすっかりお見通し。汗がどっと噴き出したのを覚えている。

 芸能事務所に所属せず、マネージャーの仕事は全て自分で行っていた希林さんは、愛車のクラシックカー「ヴァンデン・プラ・プリンセス」を自ら運転して現場入り。その前はシトロエンの500ccを7台も乗りつぶしたという。

 「私、洋服でも家でも自分の体や性に合ってるものじゃないと居心地が悪いの」ときっぱり口にした。その主義は貫かれ、「物はもらわない、いらない」とよほど気に入ったもの以外は受け取らなかった。愛着のあるものを長く使う。取材時、さりげなく持っていたシンプルな黒いカバンと財布はシャネル。私服でも黒い服が多かったように思う。

 マネジャーをつけなかった理由はほかにもある。「同じ人がいつも周りにいると“人”が見えてこない」というもので、「洗濯したり掃除したりご飯作ったり、ってのは最低限。女優だからって日常生活のことができないのはだめ」という“信条”につながる。

 藤井フミヤが仕事帰りに希林さんを送った時、家に招かれ、中を見て「あの、僕、突然来たんですよね?」と驚いたこともあったとか。自宅に取材に来た報道陣を打ち合わせ部屋に招くこともあったが、いつも家政婦さんを雇ったかのようにきれいだった。

 也哉子さんは19歳で結婚。お相手の本木に「あなたホモなの?」と聞いた話は有名だ。希林さんは恋愛について、也哉子さんに一つだけアドバイスしたという。「同棲ってのは全く成長がない。別れても誰も傷つかない。生きていく上で何の成長もない。人生は短いんだから、そんなのもったいない」と。

 本木は也哉子さんについて「すごく魅力的で手強くて、強い光を放っている女性」と評したが、母の姿勢はしっかりと娘に受け継がれていたのだ。

 樹木希林さんのご冥福をお祈りします。合掌。

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