【スポーツ】7度目引退の大仁田厚 過去の発言はどうたっだのか

 10月31日に引退することを宣言しているプロレスラーの大仁田厚(59)がリングを去る日まであと1カ月を切った。と言っても、引退は初めてではなく7年ぶり7度目で、今回も懐疑的に見る声が多い。大仁田自身は復帰を強く否定しているが、今回は信じていいのだろうか。過去の発言を振り返って考えてみたい。

 まずは1度目。全日本プロレス所属時代の83年4月にへクター・ゲレロ戦で左膝蓋骨粉砕骨折の重傷を負ったことが原因だ。約1年半の欠場から復帰するも精彩を欠く戦いが続き、84年12月に引退をかけてマイティ井上と対戦して敗れた。85年1月3日に後楽園ホールで行われた引退式では、「15歳の時に初めて全日本プロレスに入門して12年間、本当にありがとうございました」と控えめにあいさつした。

 そして、2度目。FMW設立後の94年5月5日、川崎球場で天龍源一郎と対戦して敗れ、1年後の引退を宣言する。その後、引退記念ツアーを行い、95年5月5日に弟子の故ハヤブサと引退試合を行った。同年5月9日の会見では「どんな会場でも大仁田厚として血だらけでやる義務があったが、もうレスラーとして限界に近い状態にある」と話していた。

 3度目は参院議員時代の03年1月7日。同年に開催予定のアフガニスタン興行を最後に引退することを発表。「これが最後」と断言したが、その後の正式な引退表明はなかった。

 4度目は05年3月26日。01年に入学した明大の卒業式に出席後、後楽園ホールで引退試合を開催。矢口壹琅とのタッグで天龍源一郎、越中詩郎組と対戦し、試合後「これからは世の中という敵とプロレスをしていく」と絶叫した。

 5度目は09年12月27日の自主興行で引退を発表。長崎県知事選への出馬を表明し、「知事に全力を尽くしたい。本当に、本当に、本当に、本当に、本当に引退」と、「本当に」を5回繰り返した。

 6度目は10年5月5日。新木場1stRING大会で引退試合を行った。ターザン後藤と組み、元祖ザ・グレートパンク、初代ザ・シューター組に勝利したが、試合後「また帰ってくるときはよろしくな!」と復帰を示唆した。

 さまざまな言葉で引退の決意を示してきたが、結果的に信じた者はすべて裏切られている。大仁田の発言をどう受け止めればいいのだろうか。大仁田の愛弟子である田中将斗の言葉が印象に残っている。田中は、大仁田に引退から3日後の11月3日に参戦オファーを出した超花火プロレスが9月26日に開いた会見でこう言った。

 「七転び八起きで、大仁田さんはそういう人間だと思っている。(11月3日に)今、出ないと言っても、あの人はコロッと気持ちが変わる人なので。出ると言っても出ないときもあるし、出ないと言っても出るときもあるし。ボクには分からない次元の人です」

 つまり、大仁田は異次元の人間。常識で理解しようとする方が間違っているのかも知れない。(デイリースポーツ・洪経人)

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