【スポーツ】ギリギリの戦いが選手を育てる
ボクシングのWBC世界バンタム級王者、辰吉丈一郎ら3人の世界王者を育てた大阪帝拳・吉井清会長が生前よく言っていた。「マッチメークが選手を育てる。相手が少し強いくらいの方がいい。ギリギリの試合の経験が何より選手を育てる」
リスクはある。ジム側は素質のある選手の戦績に傷はつけたくないものだ。しかし、4戦目で日本王者、8戦目で世界王者と当時の最短記録をつくった辰吉丈も、鳴り物入りのデビューで日本選手が試合を受けてくれない中、海外の強豪を呼んで経験を積んだ。6戦目では世界ランカーとのノンタイトル戦で引き分け、世界挑戦が先延ばしになったこともある。
3日にWBA世界スーパーバンタム級王者の久保隼(真正)が同級2位のダニエル・ローマン(米国)に9回1分21秒TKOで敗れ、初防衛に失敗した。3度のダウンを奪われ、自身らしさはほとんど出せないままの完敗だった。
ジムの先輩で3階級制覇王者の長谷川穂積氏は、その敗因を「キャリアのなさ」と分析した。「厳しい言い方かもしれないが、世界レベルの対戦相手は初めてだった」
久保は東洋太平洋王座を2度防衛し、プロ12戦目に無敗で王座を奪取した。アマでは一度ブランクをあけたが、プロでは順調な道のりを歩んできた。キャリアの少なさは怖いもの知らずの勢いを生む。しかし、王者になってからそれが裏目に出た。自分のペースを崩されると、対応しきれなかった。
他の競技に比べると、ボクシングの試合で「持っている力以上のものを出せた」ということは少ないように思う。四方を囲まれた逃げ場のない場所で敵と対峙(たいじ)する3分間は恐怖心との戦いだ。後ろ盾になるのは自らの経験しかない。
長谷川氏自身は、東洋太平洋王者として世界ランカークラスと試合を重ね、世界挑戦も挑戦者決定戦を勝ち抜いて権利をつかんだ。勝つか負けるかのギリギリの戦いが、新人王戦で途中敗退するなど決してエリートではなかったサウスポーを頂点へ押し上げた。
今は団体が4つに増え、王座挑戦、獲得のチャンスはかつての倍になった。だからこそ「チャンピオンになってからが本当のスタート」だと長谷川氏。後輩に「まだ終わりじゃない。負けてはい上がる方がかっこいい」とエールを送る。先輩王者たちが体現したように、強い相手と戦った経験は財産に変わる。ベルトは失ったが遅くはない。久保の新しい戦いに期待したい。(デイリースポーツ・船曳陽子)