早田ひな完敗に涙あふれる 3位決定戦へ 準決勝で中国・孫穎莎にストレート負け「申し訳ない」
「パリ五輪・卓球女子シングルス・準決勝」(2日、パリ南アリーナ)
早田ひな(24)=日本生命=が、世界ランキング1位、難敵の中国・孫穎莎と対戦。0-4(6-11、8-11、8-11、2-11)のストレート負けを喫し、3位決定戦に回ることが決まった。
表情ひとつ変えない王者との戦い。かつて早田は孫について「信じられないくらい強い」と語っていた。その強さは五輪でも変わらなかった。
第1ゲームは1点先取したが、4連続失点。必死に抵抗したが、全てにおいて隙がなく、6-11で落とした。第2ゲームも鋭いサーブに加え、強打を止められず、8-11で0-2となった。
互角の攻防を演じたのは第3ゲーム。7-7と食らいつき、2連続失点。7-9からのラリーを制して1点差に詰め寄ると、中国ベンチがタイムを要求した。絶妙なタイミングで間を取られると、2連続失点で8-11と押し切られた。
第4ゲームは勢いを増す孫穎莎の強打に劣勢。2-11と、一気に試合を決められた。
準々決勝では北朝鮮のビョン・ソンギョンとフルセットの死闘を制した。女子シングルスでの4強は日本勢では史上4人目の快挙。早田は喜びに浸ることなく、「ここ(4強)を目指してきたわけじゃなく、明日が勝負。明日勝つために3年間やってきた。殻を破れるように、壁を越えたい」と意気込んでいたが、王者の壁は高かった。
左手首にサポーターを巻いていたが、試合後に「コンディションが100%じゃなかった。限界を感じたが最後までプレーできてよかった」と振り返った早田。「今日のために3年間がんばってきたが、通用する部分あったが、それ以上に自分のプレーを100%発揮できなかった。関わってきた人に申し訳ない」と涙を浮かべた。
まだ3位決定戦で、銅メダルをかけた戦いが待つ。「明日、どれだけのプレーができるか分からないが、後悔しないように頑張りたい」と言葉を振り絞った。
◆早田ひな(はやた・ひな)2000年7月7日、北九州市出身。4歳から地元の石田卓球クラブでラケットを握った。幼少期から頭角を現し、小学5年の全国大会で優勝。16年12月の世界ジュニア選手権団体戦では同い年の伊藤美誠、平野美宇らと中国を破って優勝した。全日本選手権は20年大会でシングルス初制覇し、23年大会は3冠を達成。24年大会もシングルスで2連覇した。世界ランク5位。左ドライブ型。166センチ。
