大瀧さん 並外れた音楽知識と多芸多才

ベルウッド創立10周年を記念し82年に発売された大瀧詠一さんのベストアルバム「アーリー大瀧詠一」
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 1972年にベルウッド・レコードを立ち上げた音楽プロデューサーの三浦光紀氏が、30日に解離性動脈瘤で亡くなった大瀧詠一さんについて「アメリカン・ポップスに精通していた」と日本の音楽シーンに残した業績を振り返った。「ニューミュージック」という言葉を日本で初めて使った人物と言われる三浦氏が大瀧さんの音楽知識の豊かさと多芸多才ぶりなど思い出をつづった。

 大瀧詠一(本名・大滝栄一)さんの歌を最初に聴いたのは、1970年8月5日に発売された、はっぴいえんどのデビューアルバム(通称・ゆでめん)でした。1曲目の「春よ来い」を聴いたとたん、日本にもこんな凄(すご)いボーカリストがいるんだと衝撃を受けてしまったんです。

 その後、高田渡さんやはっぴいえんどのレコーディングを通じて、彼のミュージシャンとしての才能はもちろん、並はずれた音楽の知識と多芸多才ぶりを知るようになります。

 僕ははっぴいえんどの深い芸術的素養に裏打ちされた音楽は、レベルが高すぎて、大衆に理解されるまで時間が掛かるのではと思い、はっぴいえんどをより早く一般に認知してもらうためには、メンバーの中でも特にアメリカン・ポップスに精通し、誰にでも分かる甘く美しい楽曲を作れる大瀧さんを前面に出すことが得策ではと思うようになりました。そのことを彼に話すと「ほかのメンバーと相談して結論を出す」ということでした。

 数日後、細野晴臣さんの了解も得たということで、グループ活動と並行してソロ活動もやると言ってくれました。大瀧さんの最初の構想は、当時英・米のロック界ではコンセプト・アルバムが主流になりつつある中で、あえてその流れに逆行するような、Single盤を6枚先行発売し、それを集めたオムニバス・アルバムにしたいというものでした。

 50年代60年代のアメリカン・ポップス研究家の大瀧さんならではのユニークで面白いアイデアでした。

 しかし、Single盤を毎月出すことが、宣伝する側からすると難しいという現場の声もあり、いろいろ調整した結果、大瀧さんの多面的な可能性を披露するショーケース的なアルバムにすることで落ち着きました。

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