イチロー氏 票を入れなかった1人の記者の夕食招待は「たった今、期限切れとなりました」【英語スピーチ全文】
米大リーグのマリナーズなどで通算3089安打を放ち、アジア人で初めて米国野球殿堂入りしたイチローさん(51)が27日、ニューヨーク州クーパーズタウンで開かれた表彰式典に出席した。約20分の英語でのスピーチではジョークを交えて喜びを語り、博物館に設置されるレリーフも披露された。同時に殿堂入りした通算251勝のC・C・サバシアさんや、通算422セーブのビリー・ワグナーさんも出席した。
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今日、私はもう二度と味わうことのないであろうと思っていた感覚を味わっています。これで私は人生で3度目のルーキーです(笑)。最初は1992年にオリックスに入団した時。2度目は2001年にマリナーズと27歳で契約した時です。ここにおられる方々を拝見して、自分がまた新人になったと実感しています。素晴らしいチームに温かく加えてもらい感謝しています。殿堂の価値に寄与できればと思いますが、自分も51歳なので、いじりはほどほどにしてください。もう一度、フーターズのユニホームを着る(メジャー1年目に新人儀式でチビTとホットパンツ着用)のはご勘弁願いたいです(笑)
最初と2度目まではプロとして最高のレベルでプレーしたいという目標が明確だったので感情をコントロールするのはそこまで難しくはなかった。今回は全く違います。子どもの頃、自分にはこんな聖地があることすら知らず、ここに辿り着くなんて想像すらできませんでした。
人はよく私のことを記録で評価します。野球はただ単に打つ、投げる、走るだけでなく、人生や世界についての考え方を形成する力になってくれました。子どもの頃は永遠に野球をプレーできると思っていましたが、年を取るにつれ、45歳まで最高のレベルでプレーし続けるには、自分を完全にささげるしかないと悟りました。ファンが貴重な時間を割いてプレーを見に来てくれているのであれば、務めを果たす責任があります。自分は一試合一試合、完全に集中することをプロとしての責務と感じていました。プロとは何たるかを野球が教えてくれたことが、自分が今日ここに立っている理由だと思っています。決して他の誰よりも技術が優れていたからではありません。記録は記者のみなさん(全米野球記者協会所属の記者)に評価された成果です。えーっと(票を入れなかった)1人を除いてはね(笑)ところでその記者を自宅での夕食に招待するのはたった今、期限切れとなりました(爆笑の後に拍手と歓声が起こる)
自分の夢は常にプロの野球選手になることでした。小学6年生の時に作文を書いたこともあります。でも今日それを書き直すことができるなら、夢ではなく、目標と書きます。夢は必ずしも現実的ではありません。目標はどうたどり着けるかを深く考えれば、かなえることができるものです。若い選手には夢を大きく持ってほしいけれど、同時に夢と目標の違いも理解してほしい。
日本でプレーしていた時、最初にフルシーズンを戦った年に首位打者となり、それから毎年タイトルを取りました。外から見れば、全てが順調で何も心配することはないと思われていたかもしれません。でも内側ではどうして結果が出ているのかが分からず、苦しんでいました。答えを見つけようとしても見つからない内なる苦悩の中、歴史的なことが起きました。野茂英雄さんが自分が生きている中で最初のメジャーリーガーになったのです。彼の成功に自分を含めた多くの人がインスパイア(刺激)されました。野茂さん、ありがとうございました。
(ここでオリックスやマリナーズ、それぞれの関係者らに感謝を述べた後に)
ニューヨーク・ヤンキースの皆さんにも感謝を申し上げます。まあ、今日はみんなCC(サバシア)目当てで来てくれてるのは分かってます(笑)。でも、それでいいんです。彼はその愛情にふさわしい人ですから。私はピンストライプのユニホームで過ごした2年半を本当に楽しみました。デレク・ジーターの素晴らしいリーダーシップ、そしてヤンキースという組織が誇る文化を体験させてくれてありがとうございました。(拍手)
そしてマイアミ・マーリンズにも感謝を。デービッド・サムソンさん(当時球団社長)、マイク・ヒルさん(当時GM)、今日は来てくださってありがとうございます。正直に言うと、2015年に契約の話をいただいたとき、あなた方のチームのことは聞いたことがありませんでした(笑)。でも、南フロリダで過ごした時間が本当に大好きになりました。40代半ばでも、あれだけ若くて才能ある仲間たちに囲まれてプレーする中で、まだ成長できたのです。コロラドで3000本安打を達成した時、彼らがベンチから飛び出して祝福してくれた光景は、一生忘れません。その瞬間を一緒に喜んでくれた彼らの笑顔は、本当に心からのものだった。マーリンズとしてあの仲間たちと共に3000本安打を達成する機会をくれてありがとうございました。
自分を一番支えてくれたのは妻弓子です。19シーズンにわたり、シアトル、ニューヨーク、マイアミでプレーした私を全力で支え、励ましてくれました。我が家がいつも明るく、前向きでいられるように努めてくれたのは彼女のおかげです。引退して間もなく、弓子と久々のデートをしました。現役時代にはできなかったことを初めてやってみたのです。スタンドに座って、マリナーズの試合を一緒に観戦しました。アメリカ流に、ホットドッグを食べながら(笑)。野球が私に与えてくれた数々の経験の中でもこの瞬間が私にとって最も特別なものです。この場所に辿り着くために最も力を貸してくれた人と一緒にホットドッグを頬張りながら試合を観る時間。それこそが最も特別な瞬間でした。
米国で殿堂入りすることは私の目標ではありませんでした。でも今日、この場にいることは素晴らしい夢のようです。ありがとうございました。





