【イチローが語る仰木監督=上】

 近鉄をリーグ優勝、オリックスをリーグ連覇と日本一に導いた名将・仰木彬氏(享年70)が死去してから、きょう15日で丸9年が経った。その仰木監督の下でブレイクして日本球界を代表する選手に成長し、さらにメジャーでも『伝説』になろうとしているイチロー外野手(41)が同氏との思い出を熱く語った。(3回連載)

 ◇   ◇

 ほおを伝う一筋の涙。仰木が見せた悲しげな表情は今も鮮明に覚えている。

 2005年12月-。イチロー(当時マリナーズ)は博多市内の病院で闘病中の仰木を見舞うために一時帰国した。

 「ベッドに横になっている状態で、背もたれが顔の見える角度でした。会話は覚えていないんです。でも、最後、別れ際に監督が泣いたんですよ。泣いたというよりも涙が伝った。それを見た時にひょっとしたらって…」

 訃報が届いたのは数日後。所用のために滞在していたロサンゼルスで、だった。

 今生の別れこそ、泣き顔だったが、「それまではずっと笑っていました。とにかく、笑ってるイメージしかない」とイチローは言う。

 第一印象も“笑顔”だった。イチローのプロデビューは、まだ『鈴木一朗』だったころの92年7月11日のダイエー(現ソフトバンク)戦。そのシーズンは仰木率いる近鉄戦にも8試合に出場している。

 「ダグアウトで笑ってるんですよ、試合に負けてても。キレたり、大喜びしたりと、感情が見える監督だと相手としてすごくやりやすいんだけど負けてるのに笑ってるから気味が悪かった」

 そのキャラに直(じか)に触れ、衝撃を受けたのは、プロ2年目を終えた93年秋だ。オリックスの監督就任が決まったばかりの仰木がイチローや田口(現野球解説者)ら、若手有望選手が参加するハワイでのウインターリーグの視察にやって来た。

 「みんなでご飯を食べに行った時の監督の出で立ちがね、白い半袖のシャツ着て、白いパンツに白いベルトして、白いエナメルの靴履いて。(笑)まずそれにド肝抜かれて、今でも永ちゃん(矢沢永吉)以外にこういうスタイルが似合う人がいるんだ、って」

 さらに仰天したのは会計の時だ。

 「監督が支払いをしてくださったんですけど現金が出てきたんですよ。分厚い100ドル札の束が。それをポケットから落としたんですよ、裸で。(笑)その時の会話も全く覚えていません。その2点が強烈すぎてそれ以外のことの記憶がない」

 登録名が『イチロー』に変わったばかりの94年2月の宮古島キャンプの初日でも面食らった。最初に掛けられた言葉も忘れられない。

 「イチロー、お前、セックス処理はどうしているんだ?」

 外野で田口とキャッチボールをしている最中だったという。その場でフリーズした。

 「何を意図していたのか、いまだに分からない。とにかくインパクトがあった」

 イチローが大笑いした。=敬称略=(デイリースポーツ・小林信行)

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