総集編放送『べらぼう』、エンタメの力・令和社会とのリンク・横浜流星ら俳優陣に驚かされた1年を振り返る
江戸の町人文化の立役者となったメディア王・蔦屋重三郎の激動の人生を、横浜流星主演で描いた大河ドラマ『べらぼう』(NHK)。12月29日は、約4時間にわたる総集編が放送される。重三郎の人生の“べらぼう”さと同時に、エンターテインメントの力と江戸と令和の社会のリンクにも驚かされた本作を振りかえる。
■ 蔦重の「時代を読む力」と「形にする実行力」このドラマが始まるまで、東洲斎写楽や喜多川歌麿、十返舎一九や曲亭馬琴の名前は知っていても、彼らの作品をプロデュースした蔦屋重三郎の名前を知る人は少なかったのではないかと思う。日本史の授業でも「寛政の改革のときに、山東京伝とともに処罰された人」ぐらいしか登場しなかったのではないか。
しかし蓋を開けてみると、ただ単に才能を発掘しただけでなく、現代の出版事業・・・大新聞から同人誌界隈までが普通におこなっていることの多くが、重三郎の発明だったということに驚かされる結果になった。
吉原のガイド本に工夫を凝らすことからはじまり、ファッション誌のタイアップの先駆けとなるカタログ本、イベントの号外冊子、現代の漫画やラノベにつながる黄表紙(青本)、狂歌のまとめ本やハウツー本、いち早く素人娘をモデルにしたグラビア本、流通ルートが限られていた最新の学術書の全国発売を実現させ、最後には実験的な役者のブロマイドに挑戦する・・・。
こうして列挙すると、改めて時代を読む力と、それを形にする実行力のすごさに圧倒された。重三郎がいなければ、日本の出版文化はここまで豊かなものにはならなかったかもしれない。
■ ビジネスの闇と罪…明暗の描き分けがお見事重三郎がほかの板元より頭ひとつ飛び抜けたのは、天性のアイディア力もあるだろうけど、「人や社会のために働く」という意識の強さだった。はじめに細見を手がけたのは、女郎たちの待遇を変えるため。
第1話で、重三郎に本の楽しさを教えた女郎の全裸遺体が登場したときは、強い非難の声も聞かれたが、あのときに生まれた「吉原を住みよい場所にする」「物語でつらい現実を慰める」という2つの強い思いが、最後まで重三郎の原動力となったのは間違いない。そう考えて第1話を見直すと、きっと次は必然を感じることだろう。
さらにそこに、平賀源内から「書をもって世を耕す。本によって世の中を良くする」という想いを託されたことも、大きな原動力となった。しかしこれはときに諸刃の剣となり、寛政の改革のときには「戯けられない世の中をただす」という使命に燃えるあまり、多くの作家を自刃や処罰に巻き込んだり、喜多川歌麿の気持ちを考えずに無茶な発注をするという失敗の原因となる。
ときには痛快なサクセスストーリーを展開し、ときにはビジネスの闇と罪を描く。この明暗の見事な描き分けとバランスで、視聴者の心をあざやかに揺さぶりつづけた一代記だった。
■ 物価高や米騒動…現代と怖いほど重なった脚本に驚きもう一つ『べらぼう』が白眉だったのは、吉原という身分の境が曖昧になる歓楽街と、平賀源内や長谷川平蔵、恋川春町や大田南畝など、武家と町民の間を自由に行き来できる存在を上手く利用して、重三郎が生きる商人の世界と、田沼意次や松平定信らが生きる政治の世界を絶妙にリンクさせたことだろう。
そして2人がぶつかった最大の問題は、経済の低迷と物価上昇が同時に起こる「スタグフレーション」・・・とりわけ米の価格を、いかに良い塩梅にするか。止まらない物価高と米騒動に揺れた令和7年のことですか? と思うほど、ドラマと現代と丸かぶりな状態になったのは、脚本の森下佳子もプロデューサーも予想外だったそうだ。
■ 影の功労者? 大河史に残る大悪党・一橋治済の存在そして幕府パートに緊張を与えたのは、大河史に残る大悪党・一橋治済の存在。彼が暗殺者兼キングメーカーとして、意次や定信を影で引っかき回したことで、言うなれば時代劇やアクションものには欠かせない「最後に倒すべきラスボス」となった。
出るたびに腹は立ったが(笑)、治済がいたからこそ幕政パートにエンタメ要素が加わり、重三郎の物語と同じレベルで楽しむことができた。しかも結局は彼の存在が「東洲斎写楽」の大仕掛けに結実したわけだから、意外と影の功労者? と言えるかもしれない。
■ 文学系の主人公の大河も面白い! この2年で実感そして筆者が『べらぼう』からもっとも感じたことは・・・エンターテインメント業界に近いところにいるからなおさらかもしれないけど「娯楽や芸術は社会に不可欠」ということだ。このドラマが企画されたのは、あのコロナ禍の頃。エンタメや芸術は「不要不急」として真っ先に自粛され、社会もそれをおかしいとは思わなかった。
しかし『べらぼう』では、重三郎がまず廃れかけた吉原を、細見や錦絵を通じてよりにぎやかな町にした。日本橋に出て、天災や飢饉によって「不要不急」の時代が来たり、寛政の改革で活動を制限されても、世の中には楽しい物語や美しい絵が必要だと、たとえ投獄されても粘り強く訴えつづけた。
その強い気持ちが、最後に東洲斎写楽によって、本当の悪を滅ぼし太平の世を作り出した・・・というにはあまりにもフィクショナルなのは承知だけど、少なくともこのドラマをきちんと見た人は「やっぱりエンタメなんて不要でしょ」とは言えなくなったはず。
前回の『光る君へ』につづき、2年連続で文学系の主人公という冒険に出たNHKだったけど、文学がテーマでも十分ハラハラドキドキのドラマはできるし、実は政治や暮らしと密接につながっていることを描き出せるという、実績が作れたのは大きかったと思う。
■ 周囲を引っ張る魅力的な主人公に…横浜流星の千両役者ぶりそしてこのドラマを見ごたえのあるものにできたのは、もちろん蔦屋重三郎を演じた横浜流星の真っ直ぐな重三郎像にあった。どちらかというと影のある役の印象が強く、失礼ながら最初のうちは「陽気な江戸っ子にハマるのか?」と心配していたが、フタを開けるとリズミカルな地口を多用して、自分の心のままに周囲をどんどん引っ張っていく魅力的な「蔦重」がそこにいた。
その使命感が強すぎると、傍若無人になってしまう面がしばしば浮き上がっていたのは、ここまで横浜が得意としてきた「暗」の演技が生かされた結果だろう。とにもかくにも、実に見事な千両役者ぶりだった。
■ 憎らしいけど憎めない定信像を見事に完成させた、井上祐貴ちなみに俳優陣としては、複雑なキャラクターの喜多川歌麿を演じた染谷将太、重三郎の初恋の人・瀬川を演じた小芝風花、最後の最後までその存在感をドラマに刻み続けた平賀源内役の安田顕など、素晴らしい演技を見せてくれた人たちが書ききれないほど続出したが、個人的には松平定信を演じた井上祐貴に助演賞を送りたい。
重三郎を阻む大きな壁となり、老中首座としてあの渡辺謙と並ぶほどの存在感を示さねばならないという非常に大変な役を、正直まだそれほど主演作品が多くない俳優に任せるのはなかなかのチャレンジだったと思うし、本人もプレッシャーとの戦いだったと明かしている。
しかし井上は、辟易するほど厳格な老中のときの顔と、実は黄表紙大好きなオタクの顔をナチュラルに使い分けて、憎らしいけど憎めない定信像を見事に完成させた。最後の重三郎との東洲斎写楽をめぐる共闘が、唐突なものではなく「この定信ならやりそうだなあ」というところに落ち着いたのは、彼の好演があってこそ。
SNSでも「NHKが将来の大河ドラマのために大切に育てるべき人材」「ぜひいつか大河の主役を」などの声が少なくなかったので、また大きな役で大河に戻ってきてほしいと思う。
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『べらぼう』総集編は12月29日、NHK総合とBSP4Kで放送。12時15分から「巻之一」、13時5分から「巻之二」、13時48分から「巻之三」、14時31分から「巻之四」、15時20分から「巻之五」を放送。語りは、宿屋飯盛役の又吉直樹が担当する。
放送終了後の16時03分からは「最終回! ありがた山スペシャル~パブリックビューイング&トークショー~」と題して、最終回のパブリックビューイングの模様をお届けする。
■ 1月4日からは『豊臣兄弟!』がスタートそして来年からは、新たに『豊臣兄弟!』がスタート。豊臣秀吉の天下取りは、これまで幾度も大河ドラマで描かれてきたテーマだけど、その成功を影で支えた弟・豊臣秀長の視点というのが、今回の見どころだ。
いろいろと常人離れした兄をフォローし、調整役として立ち回ったという秀長。「できれば平和に暮らしたい」と願う、現代人の私たちと近そうな彼が、いかに乱世を治めるべく「調整」をしていくのか、引き続き楽しみに視聴したい。
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大河ドラマ『豊臣兄弟!』は2026年1月4日からスタート。NHK総合で毎週日曜・20時から、NHKBSは18時から、BSP4Kでは12時15分から放送される。
第1回『二匹の猿』では、百姓として平穏に生きる小一郎(のちの豊臣秀長/仲野太賀)のもとに、織田信長(小栗旬)の家臣となった兄・藤吉郎(のちの豊臣秀吉/池松壮亮)が現れ、武士の世界に引き込もうとするところを、15分拡大版でお送りする。
文/吉永美和子
(Lmaga.jp)
