沖縄の風習を描いた「洗骨」が大ヒット、映画人・照屋年之に迫る(前篇)

沖縄・粟国島に残る風習と家族の再生を描き、老若男女問わず「笑って、泣ける」と絶賛された映画『洗骨』。メガホンをとったのは、お笑い芸人・ガレッジセールのゴリ。今回、本名の照屋年之名義で監督・脚本を手掛けているが、これは決して偶然の産物ではなく、照屋監督の10年にもおよぶ映画作家としての賜物と言えよう。Lmaga.jpの映画ブレーンである春岡勇二、ミルクマン斉藤、田辺ユウキが、『洗骨』の裏話とともに映画人・照屋年之に迫った。

「役者さんを褒められるのがうれしい」(照屋監督)

──映画『洗骨』の評判、めちゃくちゃいいですね。この現状は公開前から予想されてました?

照屋監督「いやー、ありがたいっすね。面白いって言ってくれる人はいるだろうとは思ってたんですけど。否定する人がこんなに少ないのにはビックリしました。やっぱり賛否両論ってあるじゃないですか。でも、『否』があんまりないんですよね」

斉藤「今のところ、否定的な意見は全然聞かないよね」

照屋監督「僕、SNSを一切やってないので、マネージャーからツイッターを見せてもらったら、ツイッターをしてみたくなる。みんなが褒めてくれるから(笑)。初めてSNSに興味を持ちました。全員に握手して回りたくなる気持ちとは、こういうことなのかって」

田辺「でも、たしか監督の短編に『SNS~いつか逢えたら~』ってありましたよね(笑)」

照屋監督「そうなんすよ。疎いのに作ったんすよ(苦笑)。で、『ショートショートフィルムフェスティバル』の批評家たちにコテンパンに怒られたという」

田辺「えっ、あのクオリティで怒られるんですか!?」

照屋監督「いや、その年の作品が『日本は全部、駄作ばっかりだ』って言われて。僕も出してるから、まあ、そういうことなんだろうなって」

斉藤「結末が予測できないことはないけど、それが映画の出来を大きく左右するものじゃないですからね。セリフの切り詰め方も含めて、うまいなあと思いましたけど」

──そのあたりの話はまたこの後たっぷりと。まずは『洗骨』の大ヒットを祝って乾杯を。

照屋監督「いやー、うれしいっすね。今回、役者の方々を褒めていただくことが多くて。自分が出演しているときって、作品だけじゃなく、自分も褒めてほしいんですけど、自分が監督のときは、出ている役者さんの演技を褒められるのがうれしいんですよね」

田辺「照屋監督って、今回の『洗骨』はもちろんですけど、短編でもお年寄りや子どもの演出がめちゃくちゃうまいですよね」

照屋監督「子ども、実はめっちゃ大変だったんですよ。オーディションではすごく光ってたんですけど、本番までに親御さんがガチガチに演技を作ってきてることがあるんで(苦笑)。あと、あんまり強く言えないんですよ、泣くかもしれないと思って。そしたら一番最初にキレたのが、水崎綾女さんでした(笑)」

一同「ハハハ(笑)」

照屋監督「奥田瑛二さんと水崎さんの2人が、子どもたちを怒ってくれたんですよ。『座りなさい! 子どもだからってダメなんだよ。みんな同じ仲間だから!』とか、『遊ぶときは遊んでいい。でも、やるときはやるんだ!』って。子どもたちもピッキーンて。僕はそこができなくて(苦笑)」

田辺「まあ、できないですよね(笑)」

春岡「役者さんの話で言うと、『洗骨』は間違いなく大島蓉子さん(信子おばさん役)の代表作になりましたよね」

斉藤「それはもう間違いないですよね。どんどん彼女の果たす比重が大きくなってくし」

照屋監督「ありがとうございます。みなさん褒めてくれます」

春岡「昔からすごい女優さんだけど、大島さんは今まで代表作と言えるようなものがなかったから。『洗骨』は抜群ですもんね。奥田さんももちろんいいんだけど、大島さんの映画と言ってもいいくらいの映画になってますよね」

照屋監督「映画を観てくれたみんなが、大島さんのファンになるんですよ。やっぱり笑いもとれるし、決めるところは決めるっていう役割なので」

「あれは飛び道具の仕掛けだよね、あのシーンは」(春岡)

春岡「あと、大島さんであんまり目立たなくなってるけど、坂本あきらさんもいいですよね。『劇団東京ヴォードヴィルショー』(1973年結成)からずっと見てるけど」

照屋監督「坂本さんも良い味出すんですよね。目がやさしいっていうか。ああいうおっちゃん役をやらせたらピカイチです!」

春岡「あれ、坂本さんを役者だって知らない人が見たら、沖縄の漁師のおじさんが出演してるって感じですよね。それくらい馴染んでる」

斉藤「坂本さんはすでに、照屋監督が10年前に撮った短編『ボギー☆ザ・ヒーロー』に出てられるんですよね。気のいい喫茶店のマスターなんだけど、散々な目に遭わされるという(笑)。話は変わりますけど、僕が『洗骨』でまず驚いたのが、亡くなった奥さんを真上から撮ったファーストカットなんです。アングルもそうだけど、あの尺の長さにこの監督は根性あるなあって」

春岡「実はああやって遺体を真上から撮る監督ってのはないんだよね」

斉藤「そうなんですよ。僕の記憶のなかでも、あんな撮り方ってあんまりない。このあいだ監督にインタビューしたとき、さすがに首筋に現れたピクピクは、あとでCG処理したとは聞いたけれど、それでもね」

照屋監督「やっぱり遺体から始まるって、インパクトあるじゃないですか。それはカメラマンの今井孝博さんとも話してて。『遺体からっていいですよねぇ』って。で、そしたら急に人の手が出てきて、髪の毛をパッと触る。でも反応しない。それを観て、この人は死んでるんだってことが分かり始める。あの時間がいいんですよ」

田辺「あのシーンは、一瞬で切られたら興ざめしますからね」

春岡「そう。あそこまで引っ張れる監督はなかなかいない。度胸がない監督だと、もうちょっと縮めようかな?って1秒、1秒半くらい縮めちゃうんだよね。でも、あのファーストカットを観て、ああ、度胸のある演出だなって」

照屋監督「よかったぁ、1秒半ひろげて(笑)」

春岡「あと、俺がすごいと思ったのが、漁のシーン。洗骨の儀式で家族がひとつになるというクライマックスもいいんだけど、その前にスクー(アイゴの稚魚)だっけ? 小魚をみんなで獲りに行くじゃない。あれは飛び道具の仕掛けだよね。あのシーンで一気に一体感が生まれるもん」

斉藤「そうそう。あそこでまず泣くもんな」

春岡「あんな飛び道具を仕込んどいて、さらに洗骨まであるのかよって」

照屋監督「どうしても、洗骨の前に家族がひとつになる場面が必要だったんです。で、考えたのがスクーの漁という」

斉藤「それまで地上ばかりだったのが、あの漁のシーンで一気にキャメラがバーッと開放されるんですよね」

照屋監督「あれもひと悶着あったんですよ(苦笑)。もともとは、本物のスクーを何万匹か捕まえて欲しいってオファーだったんです。ちょうど、収穫の時期だったんで。みんなで網をたぐり寄せたら、もう水面でビチャビチャビチャーって画を撮りたくて」

春岡「まあ、画的には分かるけど」

照屋監督「本番に撮るためには、前もって何万匹かを水槽で飼わなきゃいけない、と。そんな予算はない、ムリだってスタッフに言われて。じゃあ、どうやってひとつになるんですか? それは監督が考えてください、と。だから上半身ばっかりのシーンを撮って、別カットでスクーを撮って。深さも変わってるけど、折衷案であれをやるしかなくて」

斉藤「でも、映画的にはあれでいいんですよ。何の問題もない」

田辺「そうですよね。あれだけで、そのシーンの意図が分かるんで。ネイチャードキュメントじゃないんですから」

照屋監督「よかったー。俺のなかで、実はあれが後ろめたかったんですよ」

斉藤「むしろ、あそこで大漁を映しちゃいけないんです」

照屋監督「3人が観客だったら・・・僕は幸せなのに(笑)」

斉藤「いやいや、その次のシーンで、みんなの状況が変わってるのは誰でもわかるんだから、それでいいんですよ。映画としては。僕がスゴいと思ったのが、やっぱり椿油。あの椿油のフリが、あまりにもうまい!」

「あれは映画畑やったらまず出てこない発想」(斉藤)

春岡「『born、bone、墓音。』のときには頭蓋骨だけだけど、『洗骨』ではまず妊婦さんのお腹に塗るという」

照屋監督「そうなんです。生まれてくる人と死ぬ人に、椿油を円形に塗るんです」

斉藤「あのシーンは、この映画のキモですよ」

照屋監督「ありがとうございます! 」

斉藤「水崎さんのお腹になぜ椿油を塗るのかは、あの時点では分からないんだけど『ちょっと(椿油を)貸してもらいますよ』と、亡くなった妻・恵美子さんに対して大島さんが断りを入れるんですよね。その前フリが後のシーンでガーンと効いて、みんな泣いちゃう」

照屋監督「縁起物じゃないですけど、亡くなった人の頭部を照らすこと自体、とてもいいことみたいなんですね。現地の人に聞いた話では、頭部に塗って、あの世に送るみたいな。縁起物と言うだけで、具体的には教えてくれなかったんですけど」

田辺「あの髪の毛を洗い流すあたりも、残り方にリアリティがありましたね」

照屋監督「唯一残ってるドキュメント映像を、粟国島の人が撮っていて。それでお願いして、観せてもらったんです。実際、髪の毛だけが残るんですよ」

田辺「『男は酒を飲まなきゃやってらんねえよ』って(笑)」

照屋監督「あれも、島のおばあちゃんから聞いたセリフです。全部そのまんま」

春岡「実際そうなんだろうけど、映画で観る限り、全然恐くない。すごく厳かな儀式なんだってことは、十分に伝わってくる」

照屋監督「そう、まったく恐くないです。赤の他人の頭蓋骨だったら僕も恐いんですけど、自分の親とか、親族だったらすごく愛おしいんですよ。ただ、お客さんの指摘で、『うわぁ、やっちゃった!』と思ったのがあって・・・」

田辺「どこですか?」

照屋監督「優子の出産シーンです。子どもが産まれてくるあそこを見ながら、信子おばさんが『入口を切りなさい!』って言うじゃないですか。そしたら、あちこちのSNSで、『入口って言い方はおかしいんじゃないか?』『子どもが出てくるんだから出口じゃないのか』と」」

春岡「いやぁ、たしかにそうだ! SNSや読者の指摘で負けたって思うことはめったにないけど、これは負けたな」

照屋監督「子どもが出てくるから出口なのに、あなたは男目線だから、入口って考え方ですよね、って言われたとき、僕は目から鱗でした。もう上映も始まってるから脚本を変えるわけにもいかないし、逃げ切れなかったんですけど(苦笑)。指摘してくださって、ありがとうございますと」

春岡「いやあ、男全体の反省点ですよね」

田辺「カメラアングル的にも、完全に赤ちゃんの目線ですもんね。赤ちゃんからみたら出口ですもんね」

春岡「俺、あそこのシーンで切るのは、上か下か。ああ、上か。そうかって思ってたんだよ」

──そこで喜んでるうちは、甘かったんですね(笑)。

田辺「しかも映画では、奥田さんくらい年長者でも、どちらを切っていいか戸惑うってシーンですからね。いやぁ、僕もそこには気付かなかったです」

斉藤「あと、その前に信子おばさんがギックリ腰になって、立てずにセイウチみたいに横になってる。そこで枕の代わりに『石持ってこい!』っていうシーン。僕はあれに一番感激したのね。あれは映画畑やったらまず出てこない発想だと思う」

春岡「ホント、あれはすごいよ。そして、大島さんを1回転させて、あの場所に配置するという。こっち側に恵美子さんの骸骨、もう一方に水崎さん演じる出産間近の優子がいて。優子が出産するとき、ちゃんとお母さんが見守っている構図になるんだよね」

照屋監督「そうです、その通りです」

春岡「あれは抜群! あの信子おばさんを1回転して前に動かすことで、位置関係がすごいクリアになるんだよな」

照屋監督「あの位置加減がいちばん神経使いました。どうやったら一番いいのか、あの位置が大事だったんですよ」

春岡「で、鈴木Q太郎演じる亮司が石を持ってきて、『どうですか?』って。『ちょうどいい』、『ありがとうございます!』って流れも最高で。そして、『女が命を繋ぐのよ!』と言うセリフがまたいいんだよね」

斉藤「あれがこの映画のメッセージみたいなもんだからね。だからこそ僕は、最後の筒井さんのナレーションは入れなくてもいいかなって思っちゃう」

照屋監督「それね、賛否両論あるんですよ。オープニングと最後に入れた、筒井さんのナレーション。僕も判断が難しくて。人それぞれなんですよね。要らないという人もいれば、あるからこそ『ああ、なるほどな!』って人もいると」

斉藤「前はあってもいいと思う。最後のナレーションは、キャラクターの行動と『女が命を繋ぐのよ!』でもう説明できてるかな、と。でもそれは、最後のキルショットが抜群だからそう思うのかもですが。あれは映画史に残るカット。そういえば白井佳夫さんもすごい褒めてたよね」

照屋監督「僕、それ見てないです!」

斉藤「元『キネマ旬報』の編集長ですよ。日本の映画評論家の大・大・大・大御所が『人生最高の1本』って」

照屋監督「うわぁ、ありがたいですね」

「映画は真面目、映画は七三分けです」(照屋監督)

春岡「俺らみたいに映画ばっかり観てる人からしたら、後半は要らないかな。今は、説明過多な映画が多いから、それと比べたら全然過多ではないんだけどさ。ちょっと難しい判断だよね」

照屋監督「いろんなプロデューサーから、『ゴリさんは、トゥーマッチが多い』ってよく言われるんですよ。要するに『観客はバカじゃない。考えると。なのにあなたは全部を提供しすぎだ』と。その言葉をいつも思い出すんですけど」

斉藤「トゥーマッチな監督はいっぱいいるけど、照屋監督は結構削ってるでしょ?」

春岡「『洗骨』はそんなにトゥーマッチではない。ラストの筒井さんのナレーションも、なくていいと思うけど、決してトゥーマッチとは言えない」

照屋監督「奥田さんにも言われました。『本当に君は無駄なカットを撮らないね』って。普通は心配になるんですけど、僕が『ここ以外は要らないんで、OKです。次、行きましょう』って言うのが気持ちいい、と」

斉藤「それは照屋監督が的確に計算されてるからでしょ。あれだけの短編を経た経験や、現場の空気を察知する感覚も含めて」

照屋監督「でも、奥田さんに『無駄なカット撮らないね』って言われた後の、『ここ撮っていいですか?』と言えない空気たるや・・・(苦笑)」

一同「ハハハ(笑)」

照屋監督「『逆に言えなくなった!』みたいな(笑)」

田辺「そこはいいじゃないですか」

照屋監督「インタビュアーさんに、『奥田さんも監督されてるから、ダメ出しとか結構あったんじゃないですか?』ってよく聞かれましたけど、監督業については一切口を出さないです。『俺は監督をやってるから、監督の気持ちがよく分かる。だから、俺はこの現場ではお前に全部従う』って」

春岡「でも、それは当たり前なことであって、照屋監督だって、ほかの現場に行って『俺は監督をしてるから』みたいなことは思わないでしょ?」

照屋監督「そんなこと全然思わないですよ」

斉藤「照屋監督は、演出が丁寧なんですよ。 短編を観ても思ったけど」

照屋監督「映画は真面目ですね、映画は七三分けですから(笑)」

斉藤「今回、頼まれて『洗骨』の公式サイトにコメントを寄せたんだけど、ある種日本映画では数少ない真面目な宗教映画やなと思ったんですよ」

田辺「宗教映画ですね、たしかに。沖縄は基本的に仏教ですか?」

照屋監督「沖縄は祖先崇拝です」

斉藤「仏教というわけではなく、 アニミズム(すべてのものに霊魂が宿る、という考え方)に近い感じですか?」

照屋監督「仏さまに頼むより、仏壇でご祖先様にお願いごとをするという」

斉藤「そか、仏壇はあるんですもんね」

田辺「『洗骨』のなかでも、家の真んなかに大きな仏壇がありましたね」

照屋監督「沖縄は仏壇が大事なんです。仏壇で家族の人生が動きます。お盆、正月、あと4月の『シーミー』っていう清明祭。春から命が動き出すので。そのときは、お墓のなかに一族全員が集まって宴会をするんですよ」

斉藤「沖縄独特の、あのでっかい家みたいな墓でね」

照屋監督「そうです。沖縄は祖先崇拝です。だからまず、お願いごとがあったら、神様より先に仏壇に手を合わせて、『ご先祖さま、お願いします』と」

春岡「なるほど、そういう思想なんだ」

照屋監督「でも、神社もお寺もあるんですよ。明治以降、そういう日本の文化が入ってきたから初詣とかも行きますけど、基本的に祖先です」

──そのあたりを踏まえて、また『洗骨』を観ていただければ、新たな発見もあるかと思います。そして、さらに過去の短編や『南の島のフリムン』を観てもらえたらね。

春岡「俺は『洗骨』を観て、こりゃ全部観ないといけないと思ったもん。観られてないのは申し訳ないけど」

照屋監督「ああーうれしい!ぜひ観てください!」

春岡「忙しくて、『born、bone、墓音。』しか観れなかったのは本当に申し訳ない。あれ、タイトルの最後の『墓音』って、墓の音じゃないですか。あれが長編になったら母の恩。つまり『母恩』。それをあてはめてもいけるなって」

田辺「あっ、うまいっすねー(笑)」

照屋監督「うまい!!」

春岡「ちょっと考えたんだ(笑)」

照屋監督「それいい! タイトル変えますよ!」

(Lmaga.jp)

関連ニュース

編集者のオススメ記事

関西最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング(芸能)

    話題の写真ランキング

    デイリーおすすめアイテム

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス