白石和彌監督「トップアイドルでアングラ映画をやる」

日本中を騒然とさせた事件の加害者で、「犯罪史上、最も可愛い殺人犯」とネット上で神格化された当時11歳の少女、通称サニー。その14年後に再び動き始めた、サニーを巡る新たな事件を描いた映画『サニー/32』。NGT48の北原里英主演のアイドル映画でもあり、冒険映画でもあり、それでいて現代が孕む問題をセンセーショナルに切り取った怪作だ。監督をつとめるのは、若き名匠・白石和彌。映画評論家・ミルクマン斉藤が話を訊いた。

取材・文/ミルクマン斉藤

「脚本の髙橋くんが『NEVADA事件』をやりたいと」(白石監督)

──この5月には侠心を沸騰させるような映画『孤狼の血』(役所広司主演)の公開も控えているのに、その前にこれですか? ヒドいもんですねぇ(笑)、すさまじい傑作で本当に驚きました。

ありがとうございます。この前『スリー・ビルボード』を観てきましたが、どこに向かうのか分からない映画・・・たとえば『哭声/コクソン』もそうでしたが、そういう映画が今の風潮なのかなと感じています。別にそこを狙ったわけではありませんが。

──確かにどこへ連れていかれるか分からない展開、という意味では共通していますね。登場人物に自己制御がない、ほとんどアンガー・マネジメントが効いてない、って点も(笑)。こんな物語、どうやって作りあげていったんですか?

『凶悪』を終わった頃から、脚本の髙橋泉くんが「NEVADA事件(佐世保小6女児同級生殺害事件)をやりたい!」と言っていました。僕も「やりましょうよ」と言ってはいましたが、ちょっと映画としては出口が見つからないなぁ・・・という感じでした。それから5~6年経って、「北原里英さんで映画を・・・」と言われたとき、あの小学生が大人になったという設定にすればやれるかも、ということでスタートしました。

──あの事件は僕も克明に覚えているけど、今思えば時期的にも興味深いですよね。2004年って、ネットが一般に拡散しはじめたころで。加害者の女の子が「NEVADA」とプリントされたパーカーを着た写真が流出し、ちょっと可愛いってことでネットで拡散して、みるみるうちにアイドル化していった。2ちゃんねるとかSNSとか、ネットが介入して様相が変化していった犯罪の初期の事例ですね。

そうなんですよ。そういった事例はどこが始まりとは言いづらいですが、「あ、ネットって匿名だから、社会通念上、普通言ってはいけないことを書けるんだ」みたいなことにみんなが気づき始めた頃。そこから今に至る時間の流れとかがスゴく良かったんですよね。良かった、というのも変だけれど。

──この作品も、ただネットを悪と規定しているわけではないですよね。けれど、極めて暴力的になることもあるという、あの事件以降にはっきりしたネット社会の二面性を、内容的にもヴィジュアル的にも捉えていると思います。最初の大きなピクセルのタイトル・クレジットから(笑)。

最近は「ニコニコ動画」も後退して、今の流行りは「SHOWROOM」になっていたり、そんなに明確に計算したわけではないけど、この10何年のネットの有り様というのを見せることができればいいなと思っていました。結局コントロールできてないですよね、人間が。それが大きな問題だと思います。

──自己制御が出来なくなって、垂らしっぱなしっていう。

その一方で、世のなかには「ポリコレ」というか、言葉狩りみたいなことがスゴく蔓延しています。F1のレースクィーンは女性蔑視だから廃止とか、「ポリコレ」もここまで来ちゃったかと。ネットに書かれていることって、ポリコレの真逆じゃないですか? なんか社会の歪みを感じます。

──一連の「#metoo」運動とかも、個人的にはどうも釈然としないところが大いにある。少なくともエンタテインメント業界において、ですが。そんななか、今回主演の北原さんもかなり監督に激しくハラスメント受けてますよね(笑)。

大変だったと思います、彼女は(笑)。

──背丈ほど雪が積もってるところをあんな格好で走らせるなんて、「相米慎二かい!」と思いました(笑)。

(80年代の)一連のアイドル映画もそうなんですが、師匠の若松(孝二)さんが、僕が助監督を務める相当以前から、なにかと新潟に行っては女優を全裸で冬の砂浜を走らせていました(笑)。『狂走情死考』(1969年)や、僕の初めての助監督作品は『標的 羊たちの哀しみ』(1996年)というVシネマだったんですが、あれも新潟がロケ地で、多くが今回撮ったあたりなんです。監督になってから雪国に行く機会がなかったんですけど、北原さんがNGT48ということもあって、タイミングよくやりたいことがやれました。

「あのシーンをやるだけのために作ったようなもん」(白石監督)

──やっぱり彼女がNGT48だってことは関係してるんですね。

最初に企画をもらったときはまだAKB48だったんですが、「じゃあ始めようか」となったときにNGT48に移籍という話になりました。結構時間はかかりましたが、その時間も重要だったなと思います。

──若松映画って、だだっ広いところでロケーションしながらも観念的には密室であるというのがひとつの特徴ですものね。

今回、それは踏襲していますね。でも、若松さんの映画というのは、あくまでもアングラな人たちでアングラな映画を作る、じゃないですか。そこを、トップアイドルを使って、今なかなか作ることができないアングラ映画をやったらどうだろうか、という裏テーマがあります。全裸は無理ですが、ひとつの実験ですね。だから必然的に雪国へ行った瞬間に逃げるシーンを作って、もちろん安全な範囲内でですが、できるだけ酷いことをしようと思いましたけどね(笑)。

──それにしても北原さん、頑張ってますよねぇ。身体張ってるってだけじゃなく、1本の映画のなかでとんでもなく変化もするし。

頑張ってますよ。歴代の僕の映画でもこんなに肉体的に頑張った人いないんじゃないかな?

──素っ裸にするのは無理、って言われていましたけど、ある意味近いところまでいってますもんね。

そうですね。秋元(康)さんは「脱ぐくらいの覚悟は持ってると思うよ」と言ってましたけど(笑)。そのぐらいの覚悟でやらせますから、という意味だとは思いますが。「白石さんの世界観でやってくれれば・・・」みたいな感じでしたね。横から口出しされるとかはまったくなく、完全にお任せでした。

──途中、覚醒した彼女があんまりスゴいことを言うからビビりましたよ。ギャンブル依存症の女性に「ミサイルがどうの・・・」とか(笑)。

怒られたら変えたらいいかと言っていたんですが、それが全然大丈夫でした。

──話はちょっと戻りますが、「密室」というと、髙橋さんの監督作『ある朝スウプは』(2003年)も密室の映画でした。しかも、新興宗教まで絡んでたし。監督のデビュー作『ロストパラダイス・イン・トーキョー』(2010年)やWOWOWドラマ『人間昆虫記』(2011年)でも髙橋さんとは組まれてましたけど、いつからお知り合いなんですか?

僕が「助監督辞めてそろそろ監督になりたい!」というときに、「IMJエンタテインメント」という制作会社の社長に「じゃぁ、うちに来て企画開発してよ」と言われて、2年間くらいお世話になってたんですね。今は「C&Iエンタテインメント」と改称していますが、原作読んで、感想言って、プロット書いて、映画観てきますって、それで給料をもらっていた奇跡の2年間がありました(笑)。髙橋くんはその会社のエージェントで、馬が合って仕事するようになりました。

──でも、髙橋さんとしても久しぶりに「これぞ髙橋泉」という内容ですよねぇ。脚本家としては、最近もっぱら青春映画がメインですから。僕は今もまだ「群青いろ」(註:廣末哲万とともに結成した映像ユニット)の人という意識しかないんで。

そもそも歪んでいる人ですからね。知り合ったのも『14歳』(2007年「群青いろ」作品)の頃です。

──映画の作り方にしても、集団的というか、いわゆる既存のシステムから外れた撮り方をしている人なので。こりゃあ久しぶりに爆発したなと思ったんですけど。それと同時に、『サニー』って連合赤軍と明らかに重なってるじゃないですか・・・というか、「群青いろ」常連の並木愛枝さんが永田洋子役を演った若松監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2008年)のパロディみたいになっていく。

「総括キタコレ」っていうのがね(笑)。

──いやあ、あれには痺れましたねえ!!!

あははは! それ、狙っていますからね。あのシーンをやるだけのために作ったようなものです。というか、あれを思いついたときに、「ああ、これは連合赤軍なんだ」と気付いて、「総括」に替わる言葉がなにかないかなって思って、僕が「キタコレ」にしようって。

──お見事ですね! まあ、言葉としてはおかしいんだけど(笑)、よーく分かる。

「キタコレしろよ」って、ほぼ文脈が合ってないですからね(笑)。

「まったくもってセンチですが」(白石監督)

──そう、文脈はおかしいけど、ネット民から続々と「キター」「キタコレ」「キタコレ」ってリアクションが湧きあがれば、なんか盛り上がる(笑)。まあ、よく考えれば連合赤軍の集団心理の恐怖と紙一重なんだけど、あそこで北原さんが覚醒するのがいいですよね。

さっきのインターネットの話でいうと、炎上だとかいろいろあるなかで、今なおやっぱり「匿名性ってどうなんだ?」という議論にすぐなります。一度、そういうヤツを1カ所に集めてみたいなと思いました。

──匿名性のもとに隠れている奴らを。

集めて、目に見えるところでひっぱたいて、ただ、ひっぱたくだけだと可哀想だから抱きしめて、ということをやったらどうなるかと。たぶん、ネットに書き込んでいる奴らって、個人個人で会ったら、どこか寂しい奴だったりとか普通だったりするわけじゃないですか、おそらく。僕も人の親になってスゴく思うのは、「NEVADA事件」を起こした子のご両親らが何か予兆に気付いて事件を防げたかというと、それは無理だと思う。ただ、映画を作る以上はそれではダメだから、最後になにかしたい、ということです。

──その最後にドローンで飛ぶことになるわけですね。「いきなりファンタジーかよ、そんなことないよな、でも飛んでるよ!」と心のなかで興奮してると・・・。

すぐに落っこちてしまうという(笑)。でも、あれだけはどうしてもやりたくて、すでに決めていました。最初はドローンで飛行させて終わる、あるいは飛ぶ直前で切る、ってくらいのイメージでした。一応、地面に落ちるところまでは撮っておきました。

──飛んでいっても良かったな、とも思うんですけど、あまりにそれは甘いなと。

まあ、落ちた方が現実ですからね。

──現実にしても、そのあとに感動的なエピローグがありますし。

でも脚本の段階で、そのシーンはありませんでした。飛んで行くところで終わっていましたが、やっぱり編集してみてこれは明確にしないと見終われないと。無理を言って追加撮影させてもらったのは、これが初めてかも知れないです。

──この映画って、第1部、第2部みたいな造りになっていて、第1部の最後で北原里英が覚醒し、みんなを抱きしめて一時は救済にもっていくわけじゃないですか。でも第2部でグジャグジャにしてしまいますし。

キレイにまとめるつもりは無かったです。

──第1部であれだけ本物のサニーにこだわって拉致までしたピエールさんとリリーさんが、すっかり偽物サニーの信者になって「本物かどうかなんてどうでもいいんだ」と言い出して。その一方、奥村佳恵さん演じる静香みたいに、あくまでも本物にこだわる原理主義者も現れて、コミューンが分裂する。そのあたりも集団ではあり得ることですね。

だと思います。ピエールさんとリリーさんは「サニー」という存在とちゃんと接したからこそ、北原さんを信じられたと思います。

──もともと何かに依存したがってる・・・あるいは、救いを求めていた人間なわけですからね。(教師役の)北原さんの教え子も含め。

それはとても考えましたね。

──で、おそらく門脇麦さん演じる2人目のサニーが本物で、彼女が現れてからまた物語が一転します。当然ながら、2人目のサニーは北原さんとまったく別の道を14年間歩いているわけで。

壮絶だったんだろうなというのは想像できますよね。まさか今、向こうも拉致監禁されているのはあり得ない設定ですが。この映画のテーマのひとつに「赦されることを許されない」というのがあって。謝罪と救済というか、1回罪を犯した人は今の世のなかでなかなか救済の道が無いです。その現実を(北原さん演じる)赤理が知ることが重要だったんです。

──それと同時にアイドル視されている、偶像視されている犯罪者の場合、罪を償って犯罪者で無くなったときには即、幻滅に繋がるわけで。許されない、ってことになるわけですよね。

そうです。

──偽物というか、一方的に間違えられたサニーである北原さんは、その種のネット民が犯罪者を偶像視する精神的構造を身をもって知ることによって、結果なぜかああなっちゃっうんですが、2人目のサニーである門脇麦はこの14年間の決して赦してもらえない苦しみを吐きだすしかない。その自己処罰のやり方がまた痛々しいんですが。

少年犯罪を起こして、医療施設などに行って出てきた人のなかには、身を隠して生きている方もいらっしゃるかと思いますが、普段なにを考えているのか知りようがないです。ですが、彼ら彼女らにも言えることはあるだろうなという思いで、2人目のサニーの台詞はスゴく考えました。同じような犯罪者を出さないために、その人たちも祈っていて欲しい、という思いでした。センチな考え方といえば、まったくもってセンチですが。

(Lmaga.jp)

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