山下智茂氏、箕島・尾藤監督対談【2】
デイリースポーツ評論家の山下智茂氏(71)=星稜総監督=が高校野球の未来を考える企画の第5弾は、2011年3月に他界した尾藤公・箕島元監督(享年68)の長男で13年から母校箕島を率いる尾藤強監督(46)を訪ねた。1979年夏の甲子園では延長十八回の死闘を演じ、後に甲子園塾初代塾長の公さんから、その要職を山下氏は引き継いだ。山下氏と尾藤監督にとって、影響力が大きかった公さんの存在。2人の思い出話は尽きることがなかった。
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-2010年9月、星稜-箕島延長十八回のOB戦が行われた甲子園に車いすで来場した。
山下智茂氏(以下、山下)「車いすで階段を上ったね。あの時のファンの歓声はすごかった。ブワーって割れるような歓声ですごいなあって。前の日に甲子園の球場長が雨に備えてシートを張ってくれていた。こんな練習試合であり得ないことだけど。10時頃まで降っていたけど試合ができた。(1995年)紀三井寺の時は軟式でやって、ピッチャー山下で代打尾藤で出てきて、カンと打ったら一塁の(延長十八回で落球した)加藤のところへ。加藤、捕れよとみんなが言って捕った。それで初めて箕島に勝った。OBがみんなで加藤のお祝いしよう、これで人生の勝利者になれると、泣いて一気にビールを飲んだよ。たぶん、バットを止めたから(邪飛を)意識していたと思う。でも、止めてもあんなところへ行かない。不思議ですよ」
-父親としては。
尾藤強監督(以下、尾藤)「ほとんど家にいなかったんで、おやじの背中は見たことがないんです。少年野球を始めた頃から中学までが箕島の全盛期。家におったら寝てるか、いろんな監督が訪ねて来るか。おやじと思ったのは、病気してからですね。不思議と箕島のおっさんやと思ってました。現役の時から、家に尾藤監督おるわって。山下先生の息子さんも同じだと思う。子供ながらに、なんとなく受け入れていた。漁師町なんで、投手で打たれたら、おやじが泣くぞとかヤジがよくありました。少年野球の時は1試合だけしか見に来ませんでした。ピッチャーの親の気持ちが初めてわかった。見てられんと言ってた。5年生くらいの時」
山下「僕は1回も行ったことないし、教えたこともない。生徒を家に置いていたから、みんな監督、監督と呼んで、息子も監督と。大学行った時に、電話がかかってきた。おやじ、お金がかかるけどお願いしますと言って。初めておやじと言われた」
-星稜を選んだ時は?
山下「星稜高校だけは来るなと言って、全国の高校を見に行かせたけど、女房が星稜に行きたいと言っていると言ってきた。なら親子の縁を切ろうと。それから戦いが始まった(苦笑)」
-家族旅行はなかった。
尾藤「中学2年か3年の時に北照(北海道)に1回だけ旅行に行きました。おやじはせっかちなんです。子供だからわからないんだけど、切符を出してないとか、そんなことでいちいちカリカリしていて、帰ってきて2度とおやじとは出かけへんと母に言いました。その1回きりですね」
-おやじと呼んだことは?
尾藤「野球する時は監督ですけど、あとはお父ちゃんですね。おやじが甲子園に行って山下先生と会っていると、電話してきて、代わるわと。そういうことするのは山下先生だけでした。兄弟みたいですね。失礼ですけど、おやじの弟さん、身内の感覚ですね」
-教えてもらったことは。
尾藤「技術的なことは何もなかった。長嶋さん的。ぶわっと振れとか。ただ、態度に出すとか下向くとか、そういうところが見えると徹底的にいかれます。(父の下で野球をやるのは)悩みませんでした。箕島に行って野球がしたい。そこの監督が尾藤さん。そういう感覚。僕だけじゃなく、みんな箕島へ行きたかったから」
山下「高校日本代表も自主的で親分肌。コーチが全部準備をしてた」
尾藤「周りが大変だったかも。時代もおおらかだったんでしょう。練習自体はオーソドックスだったと思うけど、スポーツドリンク系の補給とかバナナとかベンチ裏で食べさせたりとか(新しいことを)教えてくれる人の話を聞く姿勢はあったと思う」
山下「雪国だから、僕は変わったことをやらないと勝てないと思っていた。サーキットの中にウエートを入れたけど、あれはひどかった。はしごにぶら下がれないやつがいっぱいおった」
尾藤「今はスポーツコースがあって、やめる子はいないのですが、善しあしです。手抜きができないから。(レベルの差は)それほどないが、多感な年頃なんで故障を抱えてしまったらという思いもある」
山下「ほしい子は声をかける」
尾藤「心ができていない子が多い。低いレベルでお山の大将でやってきている子が多い。親子で勘違いしていて、地道にやってきた子に抜かれてたらふてくされることもある。親子とも、箕島に呼ばれて行ったけど使ってくれへんかったと言うことも。(部長から学校生活の様子を)ものすごく聞きます。子供らは観察眼があるんで、メンバー発表をやった時に、先生ちゃうから(生徒について)知らんやんとなるから、余計に聞かんと」
-尾藤スマイルの練習をしていたと。
山下「ほんとよ。尾藤さんは、ここでケンカみたいに練習しているのに、試合になったらニコニコ。なんでかな?おかしいなって。鏡を買って毎日10~15分。そしたら自分の心がわかって、生徒の心が読めるようになって、相手の監督の顔を見たらわかるようになった。それが、松井の時期に結果が出てきた」
-お父さんそっくりの笑顔は意識して。
尾藤「全然(笑)」
山下「(13年夏の甲子園で)一塁側ベンチをカメラが映した時にはそっくりやったね。びっくりしたもん」
尾藤「(甲子園で)こんなに声が届かんもんかと。オーイくらいの声は聞こえるやろうと思ったんですが、思っていたより何倍も届かなかった」(3に続く)
