中京商、消えた夏の優勝旗の謎

 昭和29年、夏の全国高校野球選手権大会に優勝した中京商ナイン
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 国民の熱狂を誘う甲子園の戦い。それは一瞬のことだ。日々の練習、そして地元での厳しい戦いを勝ち抜いた末、選手は大舞台に立つ。甲子園の外にこそ、ドラマは数多くある。今回は中でも野球から一歩引いた“場外ミステリー”にスポットを当てる。

 84日間にわたって優勝旗が消えたことがある。1954年夏の第36回大会を制したのは、名門・中京商だった。エース中山俊丈を擁して、5度目の全国制覇。盗難事件が発覚したのは、決勝戦から3カ月がたった11月23日だった。

 卒業の記念写真を撮ろうと優勝旗を保管していた校長室に、軟式野球部員が入ったところ、あるはずの優勝旗が消えていた。

 野球部員だけでなく、職員、一般生徒も動員して近隣の山まで捜したが見つからない。被害届を出し、昭和署が中心となって殺人事件並みの態勢を敷いたが、手掛かりもない。同校後援会が10万円の懸賞金を懸ける事態にまで発展した。

 「あの人じゃないか、この人が怪しいんじゃないか…。警察の人から『おまえたちが持って行ったんだろ?』とか言われました。僕たちが死に物狂いで取りにいった旗なのに、盗んだりするわけがない」

 61年がたった今も、中山は苦しい表情になる。

 事件が急転したのが翌55年の2月14日。同校から約500メートル離れた名古屋市立川名中で発見された。校舎床板の修繕に来ていた家具商の近藤明(当時30歳)が第一発見者。紺の風呂敷に包まれ、床下で見つかった。

 連絡を受けた滝正男野球部長と野球部員は猛ダッシュで駆けつけ、旗にすがりついて涙を流したという。ドラゴンズ入団が決まっていたた中山も、キャンプ地で朗報を受けた。ただし、犯人はわからずじまい。この事件のミステリアスな部分は、翌15日付けの中部日本新聞が伝えている。

 『川島主将が盗難以来“1日も早く出るように”と日参していた某教の神官4人が(14日に)同校を訪れ“きょう中にきっと発見してみせる”と滝部長らに語っていた』、『13日に某所へ“うらないによるとあす優勝旗が出る”と投書がきていた』…。

 大らかな時代ではあった。「当時は許可さえあれば、旗を持って出てもよかったんです。出身の中学に『あいさつしてこい』とか。つぎはぎだらけだったのは覚えています」。中山はこう話したあと、ある“告白”をした。「旗の房をね、僕も1本抜き取ったんです」。当時の球児は「房がお守りになる」と信じていた。こちらは優勝のご褒美と言っていいだろう。

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