69歳、俳優が昨年末に死去…直前のXマスに病室で自ら遺影を選んでいた 立ち会った後輩が証言
2025年の暮れ、1人の俳優が膵臓(すいぞう)がんのため69歳で亡くなった。芸名は「剛州」。テレビドラマ、映画、舞台で個性派の脇役として知る人ぞ知る存在だった。15年間に渡って「仕事抜き」で親交のあった所属事務所の後輩俳優・岡元あつこが当サイトの取材に対し、その人柄やエピソードを語った。
剛州さんは1956年生まれ、山口県下関市出身。79年、坂上二郎さん(2011年死去、享年76)の内弟子となり、数多くの作品に出演した。同郷の松田優作さん(89年死去、享年40)が初監督、主演した「ア・ホーマンス」(86年公開)にも抜てきされたが、そうした過去の仕事を岡元に対して「一切、話さなかった」という。
交流のきっかけは10年に開催された事務所「浅井企画」の所属タレントが一堂に会したイベント。岡元は盟友の坂本ちゃんらを交えて、17歳年上の剛州さんと“飲み友だち”的な間柄になった。「剛州さんは仕事については何も言わないので、出演作を見たことがないんです。バカ話とか、『どこどこの何がうまいから食べに行こう』といった話ばかりで、みんなで楽しくお酒を飲みたい人でした」。そして、24年秋に起きた出来事でさらに関係性が深まった。
「(東京)下北沢で私の出演舞台を見に来てくれた剛州さんが上演中に倒れて救急車で運ばれたんです。腸閉塞のような症状でした。舞台を終えて駆けつけた私、(同じ事務所で剛州さんと親しい)ウド鈴木さん、『メンソウル』という劇団を主宰する俳優・杉本凌士さんの3人で転院にも付き添い、それ以来、家族みたいな間柄になりました。その時、剛州さんが病室で『岡元…、今なら、おっぱい触らせてくれるか?』って言うから、私は『触らせるわけねぇだろ!元気だな、おやじ!』と言い返したことを覚えています。剛州さんが下ネタを言っても、逆にツッコむのが私の役割。それを剛州さんも面白がってくれた。情が深く、ふざけたこと言っても許される人でした」
それから1年余り、剛州さんを病魔が襲った。
「昨年の11月10日に入院されて、すぐにお見舞いに行った時に病名を聞きました。末期で転移もしており、『ダメってことなのか』と覚悟しました。緩和ケアで転院してからは5回、地方公演以外の時に通いました。昨年7月、舞台公演を観に来てくれた時、剛州さんは劇場のある下北沢の有名な卵屋さんで予約した卵を買って、私たちのいる居酒屋に戻ってきた。すごく暑い日、汗をだらだらかきながら。前年の腸閉塞は回復し、その時はすごく元気だったのに…」
最後に会ったのはクリスマスイブだった。「12月24日、病室に行くと、写真のコピーが5枚くらいベッドに置いてあって、『俺の遺影を選ぶんだけど、どれがいい?』と聞いてきた。私は『あんまり若いのを選ぶのは詐欺だと思うよ。これがいいと思う』みたいな話をしながら一緒に選びました。ほんとにやせてしまって、病室のカーテンを開けた時、部屋を間違えたと思ったくらいでした」
剛州さんは12月27日に死去。岡元は深夜2時頃、自宅で寝付けずに見たスマートフォンのLINEで訃報を知った。
「まだ実感がないんですよ。涙も出ない。『あ、もう病院に行かなくてもいいんだ』…という、そっちの方が強いですね。全然、気持ちが追いついていない。最後の言葉?毎回、そうなんですけど、私が『また来るね』と言ったら、剛州さんは『無理するなよ』って返して、『無理しないよ~』って帰るという、最後もそんな感じでした。『年、越すのかな、俺?』って、3日前にたくさんしゃべって笑ってた人がそんなにすぐ死んじゃうんだなと。ショックだけど、剛州さんらしい…とも思う。『年内にカタつけました』という感じで」
生涯最後の出演作はNHK総合で25年12月に放送された「【夜ドラ】ひらやすみ」。没後の年明けに再放送もされた。20代前半の俳優たちの中で中華料理店の店主を演じた剛州さん。同作のプロデューサー・大塚安希氏は「役同様に(若い世代を)温かく見守り育てる存在でした」と証言した。
岡元は「相談相手にはならない人ですけど(笑)、剛州さんを見ていると『そうだよね、なんとかなるよね』って思わせてくれた。忖度しない人。そして、自由なんだけど、その自由に責任を持っている方でした。入院中もお見舞いの人がすごく多くて、ほんとに愛されていた人なんだなと。猫まで面会に来てましたからね」と偲んだ。
今年も数々の舞台に出演する。「また観に来てくれて、先に店行って飲んでるんじゃないですかね(笑)」。岡元は舞台から先輩に思いを捧げる。
(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)
