急逝した漫画家・榎本由美さん…2人の盟友が証言「今も信じられない」社会派作品が話題、不妊治療体験も

 レディースコミックの世界で活躍し、社会派の話題作でも知られた漫画家の榎本由美さんが11月4日に死去したことが、12日に更新された本人の公式インスタグラム(@yumi_enomoto)を通して家族から公表された。60歳だった。急性呼吸不全と診断され、61歳の誕生日(11月14日)を10日後に控えての急逝だった。亡くなる直前まで公私ともに交流の深かった2人の女性漫画家が、よろず~ニュースの取材に対し、思いを語った。

 榎本さんは1964年生まれ。86年にデビューし、代表作は児童虐待をテーマとした「児童養護施設の子どもたち」(2015年)や、息子の突然死に苦悩する母を通して親子の絆を問うた「愛のこどもたち」(16年)など。また、「セルフ・ネグレクト~ゴミ屋敷、ホームレス、ひきこもり」(18年)で、30年間ひきこもりだった中年女性が母の死によって路頭に迷う衝撃的な姿を描いたシーンに由来する「美緒48歳」という言葉がネット上で拡散して話題になった。さらに、自身の体験をつづった「ああ不妊治療~8年・1000万費やしたアラフォー漫画家の体当たりコミックエッセイ~」(13年)という書籍も残した。

 記者は榎本さんと10月初旬に都内で同席する機会があり、今後に向けてLINEの交換もしていたが、同24日に東京・浅草の「漫画ギャラリーCAFEオカオカ」で開催されたイベントを取材した際、出席予定だった榎本さんの姿はなかった。同店を経営する漫画家・タレントの浜田ブリトニーは「榎本先生が『体調不良』ということで来られなかったから心配していたんです」と打ち明けた。

 榎本さんは漫画家が集う同店のトークイベントに参加していた。浜田は「私の自宅にも何度も来てくれてAIで絵の描き方を教えてくれたり、昨年12月には浅草寺の境内で行われた羽子板市に設置した店のブースにも参加してくれました。今年の羽子板市にもご出演いただく予定だったので、今も信じられない気持ちでいっぱいです。まだ心が追い付いていません」と思いを吐露した。

 同店は10月でいったん閉店し、来年1月に浅草エリアで移転してオープン予定。浜田は「新店舗を見て欲しかった。楽しみにしてたんです、榎本先生。『お祝いに行きます』って言ってくれていて…。温かくて、かっこよくて、優しくて、面白くて。大好きな先生でした」と冥福を祈った。

 盟友の漫画家・森園みるく氏は榎本さんとのコラボで今月1日から12月6日まで東京・東麻布のホテルアルファインで「魔女王2人展 ユミ&みるく」と題した展覧会を開催中だ。

 森園氏は「この展覧会は榎本先生からお声がけいただき、先生はとても楽しみにされていて、お亡くなりになる直前まで展覧会の打ち合わせなどでLINEしていました。初日前にLINEが既読にならず心配しましたが、知人を通して安否が確認でき、お亡くなりになる前日には本人からLINEがあって一安心していたところでしたので、本当に驚きましたし、まさか…と、信じられない思いです。今でもまだ実感がわきません」と言葉を絞り出した。

 7歳上の森園氏は「初めてお会いしたのは37年ほど前の、ある出版社のパーティーだと思います。榎本先生は20代前半でした」と振り返る。

 同氏は「とても親切で優しい人でした。私の夫(※ライター・村崎百郎氏)が(2010年に)亡くなった時も本当に心配してくださいました。アート全般、特に音楽に造詣が深く、私とは共通項が多く、話がとても合いました。過去に私は榎本先生を被写体として3度撮影させていただいていて、3度目は今回の展覧会の(私の)描き下ろしイラスト制作のためモデルとして撮影させていただきましたが、本当にとても妖艶で美しいフォトジェニックな方でした。また、PCや先端的なガジェットにもとてもお詳しく、仮想通貨やNFTやAI等の情報をいろいろ教えてくださったこともありました」と回顧した。

 開催中の会場には官能的なタッチの榎本さんの作品が展示されている。森園氏は「繊細で美しい、独特な個性ある絵で、ストーリーも面白く、手がけられた漫画のジャンルも幅広かった。展覧会でのイラスト作品制作にも積極的に真摯に取り組んでおられました」と語り、今後については「来年、お別れ会もしたいと考えていますが、榎本先生のご親族やご友人、関係者の皆様とも相談のうえ、決められればと思います」とした。

(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)

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