映画「トラック野郎」50周年新刊でよみがえる菅原文太さんの言葉「星桃次郎は死ぬまで相棒」…マドンナも
日本映画史に残る娯楽シリーズの傑作「トラック野郎」が初公開から今年で50周年を迎えた。「仁義なき戦い」シリーズでスターとなった俳優・菅原文太(2014年死去、享年81)がイメージチェンジを果たし、車体の外装を飾った「デコレーショントラック」(略称・デコトラ)ブームの火付け役となったことでも知られる同作。その誕生から半世紀の節目を記念した書籍「トラック野郎 50年目の爆走讃歌」(立東舎、税込3300円)が17日に刊行される。(文中敬称略)
東映の同シリーズは1975年8月公開の第1作「御意見無用」から最終作「故郷(ふるさと)特急便」(79年12月公開)までの全10作。5年間にわたって盆と正月に公開され、松竹の「男はつらいよ」シリーズと並ぶ国民的な作品となった。
菅原が演じる“一番星”こと星桃次郎と、相棒の愛川欽也(15年死去、享年80)が扮する“やもめのジョナサン”こと松下金造の長距離トラック運転手コンビによる活劇を描く。
桃次郎は毎回、キラキラと顔の周りに星を瞬かせながら登場するマドンナに一目惚れすると、突然、一人称が「ボク」に変わって“インテリ”ぶるコミカルな演技でも楽しませる。たとえば、第2作の「爆走一番星」(75年12月公開)では、姫路のドライブインで働く女子大生(あべ静江)から太宰治が好きだと告げられ、「ボクもダザイがとっても大好きなんです。あれはおいしいですね。今度、ダザイの詰め合わせを買ってきますから」といった“くすぐり”で笑いを誘う。さらに、その“ダザイ”が作家だと知った桃次郎は、なぜか学生服姿となり、太宰治全集を抱えてマドンナの前に現れる。
そんな愛すべきキャラクターの主人公を中心に据え、作品自体も西部劇とコントをミックスしたような敵役とのドライブインでの決闘をはじめ、潔いまでのバカバカしさに徹したギャグ、お色気シーンなども随所に散りばめながら大衆娯楽映画としてのスタイルを確立した。
中でも、片思いに終わったマドンナの窮地を救うため、“無償の愛”に突き動かされた桃次郎が限られた時間内での命がけのハンドルさばきによって、車体にダメージを負いながら爆走するクライマックスのシーンがハイライトになる。72年生まれの後追い世代である新刊の著者・小川晋は幼年期にテレビ放映で見た爆走シーンに衝撃を受けたことが同作を探求するきっかけになったという。
本書はデコトラ専門誌「トラック魂」で4年間連載された記事「映画トラック野郎 爆走讃歌」をベースに新たな取材を加えて再構成された。
菅原は生前最後のインタビュー(13年11月)で、週刊誌を持参した愛川から「今、こういうギンギラギンのトラックが流行っている、これ映画になりませんかね」と呼び掛けられ、「面白そうだな」と応えたことが発案の起点となったことを明かし、印象に残ったマドンナとして早逝した夏目雅子(85年死去、享年27)にも言及。さらに「こういう馬鹿馬鹿しいけど無償で無欲で人のために生きている主人公の姿が、何よりもお客さんに喜ばれるということは、やっていて気分が良いよな」「一番星桃次郎っていう名は死ぬまで自分の相棒だと思う」といった言葉を残した。
また、歴代マドンナの中島ゆたか(初代)、あべ静江(2代目)、小野みゆき(9代目)、第8作「一番星北へ帰る」(78年12月公開)でライバル役として出演した黒沢年雄、主題歌「一番星ブルース」を手がけた宇崎竜童と阿木燿子夫妻の新規インタビューも掲載。全作を演出した鈴木則文監督は14年に80歳で死去したが、当時の現場を知るスタッフやデコトラ愛好グループ「哥麿会」のメンバーも登場し、幅広い視点からの「証言集」になっている。10ページに及ぶ秘蔵写真や全10作の詳細クレジットも収められた。
18日には東京・西荻窪の「西荻のことカフェ」で、著者と「トラック野郎」の仕掛人でもある元東映宣伝プロデューサー・福永邦昭によるトークイベントも開催される。
(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)
