「るろうに剣心」のモデルの墓は力道山と同じ寺にあった 石碑の裏にひっそりと

 人気漫画『るろうに剣心』(集英社)の主人公・緋村剣心のモデルとなった河上彦斎(かわかみ・げんさい)の墓が、昭和のプロレスブームの火付け役・力道山と同じ、東京都大田区の池上本門寺にあるのを知ってしますか。

 実は私も最近知り、確認のため池上本門寺に出向きました。現地で参詣客の何人かに聞いたところ「力道山の墓なら知っているけど…」という返答はありましたが、なかなか見つかりません。力道山の墓には行ったことがあります。左に大きな碑、右に胸像が建っている立派なものです。それに比べ、やっと探し当てた河上の墓は「河上彦斎先生碑」の裏に隠れるかのように立っていた戒名「應観法性居士」が彫られたものでした。

 『るろうに剣心』は幕末に「人斬り抜刀斎」として恐れられた伝説の剣客・緋村剣心が、明治維新後は「不殺」(ころさず)を誓い、新たな時代での生き方を模索する物語です。映画にもなり、現在は人気俳優・佐藤健と人気女優・有村架純が出演する映画『るろうに剣心 最終章 The Beginning』が上映され、大ヒットしています。

 『るろ剣』ファンなら、緋村剣心のモデルが河上彦斎というのは常識だそうです。公武合体派で開国派の重鎮・佐久間象山をはじめ多数の暗殺に手を染め「人斬り彦斎」「ヒラクチ(蝮蛇)の彦斎」とも呼ばれた尊皇攘夷の志士で、薩摩の田中新兵衛、中村半次郎(桐野利秋)、土佐の岡田以蔵とともに「幕末四大人斬り」として有名な人物です。1834年に熊本・肥後藩の小森貞助の次男として生まれ、同藩の同じく下級藩士の河上源兵衛(または彦兵衛)の養子となり、河上彦斎になりました。

 明治維新後、高田源兵衛と改名しましたが、明治政府の参議・広沢真臣暗殺の嫌疑を理由に捕縛され、日本橋小伝馬町で斬首されました。享年37でした。明治維新後も攘夷(じょうい)を強固に主張しつづけたため、藩と新政府に過激な攘夷論者の危険視されて処刑されたという説もあります。

 現存する資料や写真によると、低い姿勢からの片手逆袈裟斬りの達人だった河上は身の丈5尺前後(約150センチ)と小柄で、色白の一見女性のようでした。それを踏まえて、抜刀斎として人斬りをしていた時代の緋村剣心も身長158センチ、体重48キロの小柄な男性に設定されたのではないでしょうか。

 河上の墓が、日蓮聖人が61歳で入滅(臨終)した霊跡、池上本門寺にあるのには理由があります。池上本門寺は肥後熊本藩細川家の墓域で、斬首されたものの河上は脱藩せず細川斉護、韶邦、護久と三代にわたって仕えた経緯があるからです。

 長州藩の高杉晋作とも親しく、奇兵隊の総帥に推挙された人物の墓を探しに、戦国大名・加藤清正が寄進した96段の「此経難持坂」を上ってみたらどうでしょうか。

(デイリースポーツ・今野 良彦)

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