西郷輝彦「恩讐を超えた男の付き合い」

 すい臓がんのため23日に死去した芸能事務所「サンミュージックプロダクション」の設立者で会長の相澤秀禎氏(あいざわ・ひでよし、本名・相澤與四郎=あいざわ・よしろう、享年83)の葬儀・告別式が29日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれ、森田健作千葉県知事(63)、歌手の西郷輝彦(66)、野村将希(60)ら芸能人、親族、関係者700人が参列した。弔辞を読み上げた西郷は、家出少年だった自分を見いだし、スターに導いてくれた大恩人に感謝の思いを伝えた。

 祭壇に飾られた遺影に合掌し、深々と頭を下げた。西郷は「名古屋のジャズ喫茶…」と、弔辞を読み上げ始めた。

 「あの時、拾ってもらわなかったら、僕はいない」。1963年、鹿児島から家出し、名古屋のジャズ喫茶のボーイだった西郷。その姿に惚(ほ)れた相澤氏が、楽屋口で「YOUはオーラがあるよ」とスカウトした。それが50周年となる芸能生活の入り口だった。

 まだ、サンミュージックの設立前。二人三脚で芸能界を歩いた。舟木一夫、橋幸夫と「御三家」と称される大スターへと育ててくれた。その陰で「橋さんに負けるな!舟木君に後れをとるな!と励まし合ってきた」という。「あの時は最高に輝いてましたね」と、遺影に呼びかけた。

 その後は意見の食い違いで一時、疎遠に。だが、相澤氏の温かさ、優しさが再びお互いを結びつけた。亡くなる数日前、福岡県の博多座で1カ月公演中だった西郷に相澤氏から電話が来た。「もうダメかもしれない。いい思い出ありがとう。僕は幸せだった」。それが最後の会話だった。

 「恩讐(おんしゅう)を超えた男の付き合いを初めて実感した。ありがとう相(あい)さん。鹿児島から家出した少年、西郷輝彦でした」と締めくくった。じっと悲しみを堪えていた。

 「みんな家族」と所属タレント、社員に愛情を注いだ相澤氏。出棺時は大好きだったカントリーの楽曲「You all come」が流れる中、森田知事、西郷、野村らがコーポレートカラーの青い棺(ひつぎ)を担いだ。棺には思い出の写真や、事務所のタレント名鑑が収められた。出棺の際には研修生を含めたタレント約120人、社員約100人ら“家族”が作った“花道”を通り、天国へと旅立った。

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