メリーさんに櫻井翔、マッチ、黒柳徹子らから感謝の言葉続々
「ジャニーズ事務所」名誉会長の藤島メリー泰子さんが14日に死去。所属タレントや元ジャニーズのタレントらが感謝の言葉送った。
公開日:2021.8.19
黒柳徹子
ジャニーズ事務所の藤島メリーさんが亡くなった。
黒柳徹子 メリー氏から死の前日、パンダのリュック届く「現場の人と言い合える強い人」 65年の親交
とっても驚き、悲しい気持ちでいっぱいです。
亡くなる前日に、メリーさんからお誕生日プレゼントのパンダの親子のリュックサックが送られてきた。
それは、とても珍しく、また、かわいい物だった。
リュックを背負う肩紐の上の所に、キラキラのクリスタルで、私の頭文字「T.K」が入ってる。
きっと、背負った時に、人には見えないようにと、、、。
そんな風に、いつも気を遣ってくださる方でした。
私はいつもの様に、FAXで、お誕生日プレゼントのお礼を送りましたが、普段なら、すぐさま返事をくれるメリーさんから返事が来なかったので、「どうしたのかな?」と心配していました。
メリーさんとは、テレビの世界に入ってすぐに出会ったので、65年以上のお友達でした。
メリーさんが最初にマネージメントをしたのが、青年四人組の『ジャニーズ』で、すごい勢いでトップアイドルグループになりました。
私は、NHKの「夢で逢いましょう」で『ジャニーズ』と共演していたので、マネージャーのメリーさんとも、すぐに親しくなったのです。
仕事の上では、真面目で一生懸命、曲がったことは大嫌い。
当時は、女性が仕事をするのは本当に難しかったのですが、その中でも現場の人達と対等に言い合える強い人でもありました。
大変な苦労もあったのだと思いますが、私は、そんなメリーさんを見ていて、とても尊敬していました。
メリーさんみたいにやさしい人はいなかったような気がします。
メリーさんは、私に美味しいものを食べさせたいと、果物やお料理などを自分で届けてくれました。
皮の剥きにくい果物を届けてくださる時は、わざわざ自分で皮を全部剥いてくれて、すぐ食べられる様にして、私の家の玄関のドアノブにぶら下げて置いてくれる人でした。
メリーさんは、私にとっては、心の細やかな、温かいやさしい人でした。
今、メリーさんに何か言うとすると「ありがとう」「寂しくなるわ」「大好きでしたよ」が言いたい。
本当にお疲れ様でした。
東山紀之
「厳しいマネージャーであり、良き理解者であり、そして、優しい母親でもありました。
メリー氏死去 東山紀之「タレントを守る為ならいくらでも悪人になる、と」代表して追悼【全文】
私の人生でなくてはならない存在のメリーさんが天国に旅立ちました。
そんなメリーさんとの思い出の中で、忘れられない言葉があります。
『私はタレントを守る為なら、いくらでも悪人になります。』
私たちを常に守り、その美学の中で私は人生を歩み進める事が出来ました。
年齢を重ね、先輩になり、親になっていく中で、若い頃から受けていた数多のアドバイスの真意がより理解出来るようになりました。
メリーさんのような人になりたいと思っていた矢先の出来事でした。
行く先々を明るく照らしてくれて本当にありがとう。
天国のジャニーさんによろしくね。
東山紀之」
田原俊彦
「すぐ自宅のベランダから『ありがとう、ジャニーさんと会えましたか』と自分の中で送らせていただきました。本当に厳しくて、でも優しくてお母さんみたいな存在でした。タレントファーストで優しい方だった」
田原俊彦「僕が一番メリーさんともめたし、けんかした」 母のような存在と感謝で追悼
「僕は好きだったけど、多分僕が一番メリーさんともめたし、けんかした。メリーさんからしたら一番めんどくさいタレントだったと思う。いろいろ指導してもらって、時にはいろいろディスカッションしました」
田原俊彦「僕が一番メリーさんともめたし、けんかした」 母のような存在と感謝で追悼
「今は天国でゆっくり休んでほしい。僕も何十年後かに行きますけど、また次の生まれ変わりがあるとしたら、歌って踊って世界を取れるような仕事を、またいっしょにしたいなあなんて思います」
田原俊彦「僕が一番メリーさんともめたし、けんかした」 母のような存在と感謝で追悼