円広志 SMAPに提供した曲がボツになった理由…「あれは聞かんほうがいい」

 歌手の円広志(63)は1978年、「夢想花」でさっそうとデビューした。覚えやすいメロディーにシンプルな歌詞、親しみやすい高い声がうけてレコードは80万枚を売り上げる大ヒットとなった。その後は「一発屋」と称されることもあったが、森昌子に提供した「越冬つばめ」は第25回レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した。SMAPに提供した曲はボツになったけど…。パニック障害を公表後も帯番組に出演し、活躍する円に「夢想花」の秘話を聞いていると、SMAPへの曲がボツになった理由もポロッと漏らした。「夢想花」のエピソードを3回に分けて届けるシリーズの以下は③。

 -一番影響を受けたアーティストは。

 「フリー」という英国のバンドのボーカル、ポール・ロジャースです。歌がうまい。お会いさせてもらって写真も一緒に撮ってもらいました。ロックの基本である男女の歌が全部ヒットしている。大ヒットした「オール・ライト・ナウ」は女の子をひっかける歌。「フリー」で日本に来たときに日本人の女の子と知り合いになって結婚しちゃった。面白いんです、あの人。生き方が。

 -若い頃はポール・ロジャースの曲をコピーしてきた。

 学生時代はポール・ロジャースのコピーばっかりやってました。ビートルズとかローリング・ストーンズはみんな知ってるじゃないですか。でも、ポール・ロジャースはあまり知らない。曲もヒットはしてますけど、スリーコードのロックンロールが多いんですよね。だから自分で作曲をするにあたっての勉強はあまりできない。ビートルズをコピーしてた人のほうが得ですね。教本としてしっかりしてる。サザンオールスターズの桑田くんはビートルズをばっちりコピーしたんで基礎がしっかりしている。

 -円さんとしてそこは。

 そう、ちょっと損したとこです。ボーカリストとしてはポール・ロジャースをコピーしていて良かったなと思いますけど。

 -それは「夢想花」にも生きている。

 生きてます。例えば「まわってまわってまわーるぅぅぅぅ」と。歌の最後をフェイクするのはポール・ロジャースの影響です。

 -楽曲の提供もされています。以前、「ナカイの窓」に出演された時にSMAPに曲を提供しようとしたもののボツになったと。

 ああ、はいはい(笑)。ボツになるというか…。中居君が「円さん、せっかく曲を作るならSMAPで歌ったらもうかるよ」と言ってくれたんです。喜んで曲を書いて渡したらボツになりました。

 -その曲はコンサートでは。

 普段は歌ってないですね。CDには入れました。ぼくのアルバムに。

 -タイトルは。

 なんやったかな。「やろうぜ」かな。今、考えたらね、SMAPが歌えるような曲じゃないです。やらしい歌なんです。内容がね。さわやかじゃないんです。

 -ぜひ後で聞いてみます。

 いやー、あれは聞かんほうがええと思います(笑)。

 ◆◆◆◆◆◆◆◆

 円広志(まどか・ひろし)本名・篠原義彦。1953年高知県生まれ。78年「夢想花」で第16回ヤマハポピュラーソングコンテストグランプリ受賞。デビュー。83年、森昌子「越冬つばめ」を作曲。同曲は第25回レコード大賞優秀歌唱賞を受賞。レギュラー番組にカンテレ「よーいドン!」、読売テレビ「かんさい情報ネットten」など。99年にパニック障害を発症し一時期テレビ番組をすべて降板し療養。著書に「パニック障害、僕はこうして脱出した」(詩想社)。巨人ファンで「今年はもうアカンでしょ」。

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