中村梅花

 昨年10月に東京・歌舞伎座で中村橋之助改め八代目中村芝翫および四代目橋之助、三代目福之助、四代目歌之助の襲名披露興行の幕が開き、今月は大阪松竹座に劇場を移し、華々しい公演が行われている。その口上の席に、襲名と幹部昇進を果たし加わっているのが、東の成駒屋を支えてきた中村芝喜松改め四代目中村梅花だ。一般家庭から国立劇場の歌舞伎俳優養成所を経て七代目芝翫に入門。風情のある古風な顔立ちで、端正で品格のある芝居が魅力的な、脇を締める名女方だ。

  ◇  ◇

 先代の梅花さんには養成所時代からお世話になっており、その人柄や芸に対する姿勢は間近でみてきました。それだけに「梅花」の名前は成駒屋にとっては永久欠番のような名前だと思っておりました。ですから私にはもったいないという思いでしたが、初めは福助若旦那に、そしてこの度は橋之助若旦那に「梅花の名前を風化させないように」と勧めていただき、継がせていただくことになりました。

 私は一般家庭出身で、国立劇場歌舞伎俳優養成研修所出身。もともと演劇は好きで、新劇の養成所にも入ったことがありましたが、何かが違う。そんなとき歌舞伎を見たんです。もう「これだ!」と思いましたね。自分の進む道はこれしかないと思いました。

 22歳で研修生になり、その後新橋演舞場で旦那(七代目芝翫)の『京鹿子娘道成寺』を拝見したんです。見た瞬間「自分が付いていくのは旦那しかいない!」と思いまして入門いたしました。歌舞伎は小さいころに見たことがありましたが、ほとんど覚えていない。だから何も知らない状態でこの世界に飛び込んだのがよかったのかもしれません。見るもの聞くものがすべて新鮮でした。

 そんな私が今回襲名したことで「よく頑張ったね、苦労も多かったでしょう」と声をかけていただくことも多いのですが、実はそう言っていただくと、逆に困ってしまう(笑)。自分としては好きなことをやってきただけなので、苦労したつもりはないんですよ。素晴らしい世界に触れられ、いままで楽しくやってこられた。もっとも入門当時は頭でっかちで、旦那には随分としかられましたけどね(笑)。旦那に弟子入りした時、「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世といってね、君とは(来世も)また会うんだよ。それでもいいかい」とおっしゃられた。たぶん生まれ変わってもまた旦那のもとでやっているでしょうね。

 入門したころに旦那から「市川寿海さんのような(門閥外でも)立派な方もいる。君も頑張るんだよ」とおっしゃっていただきました。そのときは単なる励ましで、夢のような話だと思っておりましたが、まさか実際に私も襲名させていただけるようになるとは…。もちろん自分自身のことも有難いのですが、今月は若旦那が橋之助から芝翫への襲名興行で、坊ちゃん方も襲名、(福助の長男)児太郎坊ちゃんも含めて坊ちゃん方が勢ぞろい。感慨深いですね。坊ちゃん方が生まれたときから知っておりますし、先代の梅花さんもこんな気持ちだったんだろうなと思います(※)。

 今回は私も襲名させていただき、幹部昇進ということで、「口上」に列座させていただいております。これまでいろいろな作品に出させていただきましたが、大歌舞伎の「口上」に出させていただくのはもちろん初めてです。本来、私のようなものが並べるところじゃないのに、列座させていただいていることは、本当に“感謝”という言葉以外にありませんね。

 もともと女形をやりたかったのですが、体にバネがあったので、成駒屋に入った当初は立廻りの役も多く勤めました。名題に昇進してから、ようやく女形だけを演るようになりました。でも立役を演ってきたことは今の自分に役立っていますね。

 2005年大阪松竹座での(十八世)勘三郎襲名興行のときには、旦那に言われ、女方ですが立師もさせていただきました。『宮島のだんまり』には幹部17人が総出演されていて、どういう動きにするか任されたんです。17人ですよ、17人!そこで旦那の御自宅にチェスを持ち込み、駒を動かしながら試行錯誤。歌舞伎にはいろいろな決まりごとがありますので、大変でした。でも実際に出来上がったときには他のお家の旦那方や(松竹)会社からも褒められてうれしかったですね。でも最近の若い人は、私が立役をやっていたのを知らないので、立廻りのアドバイスをすると不思議そうな顔をするんですよ(笑)

 若いころには私も、お客様の反応が気になって仕方ないころもありました。でもいまは芝居に集中することで、気にならなくなりましたね。私が集中し、演じている芝居を見ていただくことで、お客様をその世界に誘いたい。以前いただいたお客様からのファンレターに「お芝居を見ていると、そこが江戸時代になった」という内容が書かれていたんですが、うれしかったですね。

 プライベートの楽しみは阪神戦!昨夏は大阪松竹座に出演させていただいておりましたので、甲子園にも行きたかったんですが、公演中ですので自重して、ホテルでテレビ観戦を決め込んでいたんです。関西にはサンテレビといって、阪神戦をプレーボールからゲーム終了まで放映してくれる局があるので、毎日テレビ観戦三昧でした。ところがこの時期はチームの調子が悪くて、1カ月でたった2勝!もうストレスでおつまみのやけ食い。2キロ太ってしまいました(笑)。

 これからも観戦でリフレッシュしつつ(笑)、ますます芸道に励みたいと思っております。

 ※ 福助は2011年6月のブログで、先代梅花を“梅花じいじ”と呼び「女方の心得。どうあるべきか。先輩への接し方。等々。厳しく指導してもらいました」と感謝。さらに「児太郎には、梅花じいじの前名を名乗っている芝喜松さんがついてくれて、児太郎が舞台に出る時はマンツーマンで厳しく指導してくれています」とつづっている。

 中村梅花(なかむら・ばいか)1950年9月25日生まれ。屋号は京扇屋。一般家庭出身で、74年国立劇場第二期歌舞伎俳優研修修了。同年4月国立劇場『妹背山婦女庭訓』の腰元ほかで本名で初舞台。75年4月七代目中村芝翫に入門し、中村芝喜松(しきまつ)を名のる。91年4月歌舞伎座『野崎村』下女およしほかで名題昇進。16年10月歌舞伎座で四代目中村梅花を襲名。

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