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上村吉弥

上村吉弥
3枚

 11月の巡業「松竹歌舞伎舞踊公演」(11月19日~25日)の『鷺娘』で鷺の精を勤める上村吉弥。門閥外から歌舞伎の世界に飛び込み、片岡我當に弟子入り。我當の父である十三世仁左衛門の薫陶を受け、生来の華のある美貌に加え、稽古にも熱心に取り組み、頭角を現した。上方の大きな名跡である「上村吉弥」の名を継ぎ23年。はんなりとした色香と芸に磨きがかかり、上方歌舞伎には欠かせない存在となっている。また時代物の局や世話物の女房、近松の遊女のほか、10月に上演された永楽館歌舞伎では老女の大役『信州川中島合戦』の勘助母・越路を演じ好評を得るなど最近は老け役まで手がけ新境地を開いている。

  ◇  ◇

 『鷺娘』は今回で3度目。10年ぶりに踊らせていただきます。『藤娘』『道成寺』などと並んで女方を代表する舞踊の一つです。他の舞踊にもありますが、『鷺娘』は特に衣裳の変化など、見た目にも楽しい作品です。

 最初、白無垢の花嫁姿で登場し、お客様の前での引き抜きや舞台袖での早替りなどで赤の町娘、浅葱色、紫、朱鷺色というピンク色の着物と次々替わりまして、最後はぶっ返って鷺の羽根の衣裳。特に白無垢から赤い衣裳に引き抜くのは、暗いところでやりますので『道成寺』より難しいとも言われます。『道成寺』は着物だけですが、『鷺娘』の場合は着物も帯も全部変わるので大変難しく、後見さんと気が合わないとできません。踊っている私もそうですが、後見の人も大変な緊張感を持っていますし、拵え場も大変。この作品は裏方さんとのチームプレーでもあるんです。

 40分くらいの間に女方のいろんな面を見せていきます。物語も筋が通っており、衣裳が替わるたびに曲調も変わる。お客様にもわかりやすい作品だと思います。歌舞伎舞踊はわかりにくいとおっしゃる方もいらっしゃいますが、女方のしなやかさであったり、衣裳や色遣いがきれいだなとか、照明や装置の美しさ、鳴り物や唄などの生音を楽しんでいただければ。ただ何も考えず見ていただくだけでいい。深く考える必要はないと思います。そのうちに何度も見るようになると、自然と考えて見るようになってきます。私も最初は「衣裳がきれいだな」「大道具がきれいだな」というところから入りましたから。

 私は一般家庭から、18歳で歌舞伎の世界に入りました。ちゃんと修行し始めたのはもう少し後になります。私が最初に歌舞伎を見たのが、12歳のころで、道頓堀の朝日座でした。主人の我當や坂東竹三郎さんが若手の時代です。それから夢中になり、新歌舞伎座から京都の南座、地方の巡業にも行って。一門の吉太朗が歌舞伎に触れた年齢よりずっと上です。

 ずっと歌舞伎は好きで、あるとき客席で見ていたら、大向こうの人から「秀太郎さんが付き人を探しているから紹介するよ」と。そのとき秀太郎さんと相部屋だったのが旦那(片岡我當)だったんです。「(当時6歳の長男)進之介が来月舞台に出るから手伝ってもらおうか」と声をかけていただいたのがそもそもです。それで1カ月の約束で我當の付き人をやっておりましたが、その仕事ぶりを見られて、旦那が役者をやってみないかと言ってくださいました。

 もともと歌舞伎役者になりたいだなんて思ったこともありませんでした。ただ好きなだけでしたから。絵を描くのが好きだったので、舞台美術の方をやりたかった。人前に出るなんてとんでもない。恥ずかしくて(笑)。いざ舞台に出ると堂々としているように見られますが、実はいまでもどこかで恥ずかしいと思っている部分があるんです。でも自分の芝居を冷静に見られるという意味ではいいのかもしれませんね…。

 私は松嶋屋に入れていただき、本当に運がよかったと思っています。うちの旦那は、機会が有れば私に役をつけてくださいました。今回のこともそう。門閥外の私が、こうやって一演目いただけるというのは、本当にありがたいことだと感謝致しております。

 これまでただただ懸命にやってきただけなので、何がターニングポイントだったのかなんて、考えたこともなかったですね。でもやはり「上村吉弥」の名前を襲名したときでしょうかね。お話があった時は、すぐにはお返事はできず、ずいぶん悩み、旦那に相談しました。すると「チャンスというものは二度とないよ」と、背中を押していただきました。

 それからもう後戻りできないという決意も生まれましたね。門閥に生まれると、襲名などは当たり前の世界ですが、私はまずそういう家に生まれてない。ですから何もかもが初めてのことばかりでした。

 「世襲の世界で大変?」とも聞かれますが、歌舞伎が400年続いてきた大きな理由の一つが、世襲だからこそと思います。血脈じゃない他所からきた人が好き放題にしていたら、歌舞伎は崩壊していたかもしれません。隆盛じゃないときも、必死になって一門で芸を守ってきた。それがあるからこそ400年の歴史がある。だから血で受け継がれていることの意義はあると思います。

 6歳で吉太朗が入門するときには、歌舞伎の厳しさを言い聞かせました。「それでもこの世界でやっていく決意はある?」と。そのとき「はい。やっていきます」と返事したから、それ以来、何も言わない。あの子を信じています。

 あの子が新しいお役を頂くたびに、私も必死で稽古をつけています。子どもながらも、その役になろうとするからとても助かるんです。母の気持ちじゃないですが(笑)、あの子の行く末が心配になるからこそ、一人前になるまで私も頑張らないと!という思いが強くなりました。

 でも「教える」っていうことは、自分が「教わる」ってことなんです。例えばあるお役を教えていて、自分が「あっ!」と気づくことがいっぱいありました。「こういう気持ちになったら?」「こうやったら?」と言葉にすることで、自分ではそこまで考えていなかったことも、自分自身「なるほど」と思うことが何度もありました。

 逆に、私が吉太朗に教わったこともあります。システィーナ歌舞伎『美女と野獣』のとき、稽古をしすぎて(?)扇子の扱いがわからなくなってしまったんです。そうしたら隣にいた吉太朗が「これをこうしたらスーッといきますよ」って。大人って複雑に考えるじゃないですか。子どもって素直だから、まっすぐにものが見えるんですね。

 音とか目で見ることとかは子供のときからやっていると、ぶれないですね。坊ちゃん方もそうですし、吉太朗なんかもBGM的に聞いてるから全然ぶれない。私は大人になってから音を覚えたから、ハンデを背負ってますね。吉太朗は岸和田出身。だんじり祭の鐘を聞いて育っているから間に関しては勘がすごくいい。素晴らしいなと思いますね。芝居で使うからお琴を弾いてごらんとお稽古用のお琴を爪弾いたら、それが調弦してない状態だったんです。まだ小さいのに、その音が「気持ち悪い」って耳をふさいだのには驚きました。

 その吉太朗が初めて舞台に立ったのが、私の自主公演の「みよし会」です。しばらくやっておりませんが、いずれまたやれればと思います。実は『華岡青洲の妻』をやりたいんです。実家の近くに華岡の生家があるんですよ。『華岡-』は東宝の山田五十鈴さんバージョンと、文学座の杉村春子さんバージョンがありますが、私は杉村さんの方でいつか於継を演れたらなと思っています。

私も好きで入った世界。主役ばかりじゃ芝居は成り立ちませんし、我々は我々の“分”を全うして、歌舞伎を盛り上げていく一端になれればと思っています。

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 上村吉弥(かみむら・きちや)1955年4月27日生まれ。屋号は美吉屋。一般家庭出身で、73年8月片岡我當に入門し、同年10月大阪新歌舞伎座『新吾十番勝負』の寛永寺の僧ほかで片岡千次郎を名のり初舞台。87年名題昇進。93年11月南座『草摺引』の舞鶴ほかで、関西の大きな名跡、六代目上村吉弥を襲名。

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