杉山清貴&オメガトライブ(3)

 杉山清貴&オメガトライブは、プロデューサー・藤田浩一さんの思惑通り順風満帆に成功したわけではありません。当初予定していたレコード会社は彼らに乗らず、別のレコード会社=バップからのデビューとなったのです。しかしこれは、彼らの躍進に大きな意味を持っていました。バップは社を挙げてこのバンドをサポートしてくれたからです。

 アーティストの成功やヒットは、単純に作品力だけではなく、当然プロダクションやレコード会社のサポート無くしてはあり得ません。

 デビュー曲「SUMMER SUSPICION(サマー・サスピション)」は、最初からヒットの火がついたわけではありません。地道なオンエアを重ね、当時のポップス系のバンドにしては珍しくテレビ露出も積極的にやっていましたね。とにかくみんなヒットを祈願して頑張っていたという印象がありました。

 デビュー曲のヒットでイケイケの機運高まる中、第2弾「ASPHALT LADY(アスファルト・レディ)」がリリースされましたが、思ったほど数字は伸びず6万枚止まり。第1弾は26万枚のヒット。20万人はどこへ行ってしまったんだろうと私たちスタッフは首をかしげました。

 もちろん作品の問題もありました。まず私自身が、デビュー曲以上に日本的なものを要求され曲を書いてしまったこと。つまり個性を抑え大衆にこびた。肝心のバンドも、アーティストとしての地盤がまだできていなかった。多くのリスナーが反応したのは、まだ彼らではなくデビュー曲そのものだったんですね。ジャケットにも彼らを登場させない、「海」をテーマにしたイメージ戦略のマイナス面。それらが第1弾にはるかに及ばなかった敗因ではなかったかと思いました。

 これらの反省を含め、満を持してリリースされた第3弾「君のハートはマリンブルー」はドラマ主題歌タイアップもあり再び大ヒット。私も、本来の「自分が欲するもの」という主体性で書き上げた作品でした。納得しなかった最初のアレンジを改め、当時では考えられなかった、製作費がかさむ再録音を経て完成させました。続く「RIVERSIDE HOTEL(リバーサイド・ホテル)」のヒットを経てオメガトライブは文字通り波に乗り、最大のヒット「ふたりの夏物語」につながっていきました。

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