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中森明菜「北ウイング」(後編)

 中森明菜さんの担当ディレクターは、デビューから島田雄三さんでした。島田さんが彼女の土台を作ったと思います。独自の創造性で歌手を分析し、作家から才能を引き出し、作品を作り上げてヒットさせる。各レコード会社には、そうした優秀な制作者が何人かいたんですよ。

 さて、話は「北ウイング」です。

 ようやく書き上げた曲をレコード会社に持っていったんですが、「いいんだけどなあ…」って、OKはもらえませんでした。楽曲構成がちょっと長かったんです。すぐに直せということで、ギターとラジカセを手渡され、そのままアーティストルームにカンヅメにされました。スッキリさせようと余計なところを捨ててまとめたのが今の形です。

 肝心の歌入れですが、「来なくていい」とハッキリ言われました。作者でも招かざる客です。これには驚きましたが、本人がすごく神経質になってしまうということでした。歌い手によっては、いつもと違う顔がスタジオにいると意識し、歌への感情移入がしにくいという人もいます。

 私は松田聖子さんのアルバム「Canary」(83年)「Tinker Bell」(84年)「Windy Shadow」(同)で曲を提供しましたが、明菜さんとタイプは全く違うんです。聖子さんの場合は逆にレコーディングに立ち会ってくれと言われました。その場でカラオケに合わせ、メロディーを歌い伝えるんですが、いざ録音!とマイクの前に立ち、初めて歌った段階でもう形が作られる。感性の鋭さ、速さがありました。

 明菜さんはスロースターターだと聞いていました。じりじりと進んで、ガーッと上がって、最後の詰めでどーんと作り上げるすごさがあると思います。レコーディングの都度、カセットを届けられていた私ですが、初回の歌入れの状態からは信じがたい、完成度に驚きました。

 実は「北ウイング」というタイトルをつけたのは明菜さんでした。本人が直観で「『北ウイング』にしたい」と。当初の「ミッドナイト・フライト」で落ち着いていた私も康さんも反対しました。

 近年、康さんとその話になりました。「そうだった。今にして思えば彼女の感性はすごいよね」と、当時、ダイレクトすぎると感じていたタイトル「北ウイング」に、時代を超えて納得している作者二人でした。

 ◇  ◇  ◇

 林哲司(はやし・てつじ)1949年8月29日生まれ、静岡県出身。持ち前の洋楽センスで「悲しい色やね」「悲しみがとまらない」「北ウイング」など多くのヒット曲を作曲。2015年、アルバム「Touch the Sun」発表。

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