早見優 「幅広くてすごいですよね」大ヒット曲「夏色のナンシー」が世代も国境も超えて愛され続け 「47都道府県をライブで回りたい」

優しくほほ笑む早見優(撮影・西岡正)
レコード大賞新人賞を受賞した早見優=1982年
2枚

 2027年にデビュー45周年を迎える歌手・早見優(59)が、「歌」への深い愛を胸に、歩み続けている。1983年の大ヒット曲「夏色のナンシー」は、世代や国境を超えて愛され続け、8月1日には恒例となったソロライブ「夏色のナンシー祭り2026~ウルトラ☆YES!~」(東京・大手町三井ホール)を開催予定。14歳でハワイから単身日本へ渡り、帰国子女アイドルの先駆者として駆け抜けた日々や、描く夢などを語った。

 今年も間もなく、早見を象徴する「夏」がやってくる。「夏色のナンシー」のリリースから43年。8月1日には「夏色のナンシー祭り」が控える。2023年に始まり、今年で4回目。恒例と化したライブで、ファンとの対面を心待ちにしている。

 「毎年サプライズゲストをお迎えしたり、曲順の構成も考えているので、自分にとってもクリエーティブなマインドを使えるイベント。何よりも長年応援してくれる方と一緒に夏を盛り上げられる場所なので、すごく楽しみにしています」

 令和となった今でも、曲の広がりを実感している。「昔の歌って、懐メロの扱いをされなくなってますよね」。ロケで訪れた愛媛県では、20代の男性からレコードジャケットへのサインをお願いされたという。「(年齢層が)幅広くてすごいですよね」。ソロライブを訪れる客層も往年のファンだけでなく、親子二世代での姿もあるという。

 超えたのは世代だけではない。米国の大学に進学していた長女が、同級生から自身のファーストアルバムのジャケット写真を見せられ「この人知ってる?」と聞かれたという。「『それママだよ』と言ったら驚いたみたいで。それをきっかけに仲良くなって」。長女から「米国ではやっている」と伝えられ「ストリーミングの影響か、じわじわとはやっていったんですね。香港とかでも聞かれているみたいで」と、世界に広がっている事実に驚きを隠さなかった。

 幼少期をハワイで過ごし、1980年にサンミュージックプロダクションの相澤正久社長(当時)からスカウトされ、単身帰国。当初、母からは反対されたというが、祖母から「こんな機会はめったにないんだから」と背中を押されたという。山口百恵さんの大ファンで「ハワイで歌番組もいっぱい見ていました」という14歳。帰国後のオーディションに合格し、アイドル人生が始まった。

 キャッチコピーは「少しだけオトナなんだ」。このコピーには「帰国子女」ならではの要素が詰め込まれたという。「意見ははっきりしてるし、自立もしているし、なんかちょっと大人っぽいねっていうことで」。なじみのない日本での生活で、堀越高校に通いながら歌手活動を行う多忙の日々。「朝でも夜でも『おはようございます』とあいさつする慣習や、先輩後輩の関係性などにも戸惑いましたね」と懐かしそうに振り返った。

 キャッチコピー通りに意見がはっきりしており、納得できないことは口に出した。デビュー曲「急いで!初恋」の振り付け指導の際、振りの多さに「なんでこんなこといっぱいやんなきゃいけないんですか?」と疑問を投げかけた。「私はもっと普通に自然体で歌いたかったんですね」。ただ、先生から「歌詞をより伝えるための振り付けなんだよ」と一つ一つの動きの丁寧な説明を受け「なるほど」と納得。一つ一つの疑問を消化しながら、アイドル道を進んでいった。

 石川秀美、堀ちえみ、小泉今日子…。豪華な顔ぶれがそろった「花の82年組」。まだ子どもで、数字へのこだわりは希薄だったが、大人の反応には敏感だった。「思い通りにチャートインしなかったりすると、大人の方たちの顔色も暗かったですし。でも『夏色のナンシー』で初のベスト10入りした時はみんなの顔色がガラッと変わって。子どもながらに、毎回自分が頑張って歌えばチャートインできるんだって」。当時の日記には「ナンシーほど売れなかったみたい。みんながっかりしてるかな」と大人の心情をおもんぱかる言葉が記されていた時もあった。

 アイドルとしての活動期間を終えると、事務所から「もうアイドルじゃないんだから、お芝居とか違う方法を考えていかなければいけないよ」と言われた。当時は20歳を超えたばかりで「大好きな歌はもう歌えないのかなとショックだった」と声を落とす。失意から前向きになれたのは、ジャズシンガーの父・井上良さんからの言葉だった。

 「売れるばかりが歌手じゃない。あなたの歌を聞きたい人が1人でもいる限りは歌い続けた方がいいよ」

 歌い続けたいという思いを後押ししてくれた。父とのジョイントコンサートでジャズの勉強に励み、ミュージカルのオーディションなどにも積極参加。「レ・ミゼラブル」などの名作への出演も射止めた。「何らかの形で歌はずっと歌い続けてこられたので良かった」。今でもアイドル時代は無縁だったボイストレーニングに励むなど、父の言葉は自身に生かされ続けている。

 歌い続けてきたから、「夏色-」が縁をつないでくれる。誕生した1966年は60年に1度の丙午(ひのえうま)。この年に生まれた女性は気が強いとされ「隠さなきゃみたいな感じでずっときた」といい、出生率も圧倒的に低かったという。

 その中で、今年3月に行われた66年生まれのアーティストが集結するスペシャルライブ「ROOTS66-NEW BEGINNING60-」に初出演。初共演のトータス松本や吉井和哉らとともに「夏色のナンシー」を合唱した。「一体となった『YES!』はすごかった」と述懐。「親友はいっぱいいるんですけど、新友を増やすっていう楽しみもあるんだなと」とうなずいた。

 来年でデビュー45周年。歌うことへの渇望はなお燃えさかっている。

 「47都道府県をライブで回りたい。昭和時代に何世代も同じ番組を見ていたじゃないですか。その頃に音楽を楽しんでいた方たちにまた会いたい。『夏色』を覚えてる、また聞きたいという方に足を向けていきたい」

 憧れを胸にハワイから芸能界に飛び込んだ。酸いも甘いも味わいながら、変わらぬ歌への愛を胸に進んでいく。

 ◆早見優(はやみ・ゆう)3歳から14歳までをグアム、ハワイで育つ。14歳時にスカウトされ、82年に「急いで!初恋」で歌手デビュー。同年の「第24回日本レコード大賞」で新人賞を獲得。83年に「夏色のナンシー」でNHK紅白歌合戦に初出場。上智大学比較文化学部日本文化学科を卒業し、バイリンガルと国際感覚を生かしテレビや舞台などで活躍。父はジャズシンガーの故井上良さん。

編集者のオススメ記事

芸能最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング(芸能)

    話題の写真ランキング

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス