杉山清貴&オメガトライブ「『おーい廣石』って呼びかけながらやりたい」 3月他界ドラム廣石惠一さん追悼ライブへ思い語った
近年、国内外で大ブームとなっている日本のシティポップを代表するバンド「杉山清貴&オメガトライブ」が、今月19日に東京・日比谷野外大音楽堂で「“お~い、ヒロイシ!!”」を開催し、同日午後5時からはWOWOWプライムとWOWOWオンデマンドで生中継も実施される。3月16日に脳出血のため64歳の若さで死去したドラムの廣石惠一さんを追悼するライブを前に、メンバーが廣石さんをしのび、ライブに込めた思いを語った。
最後に全員で演奏したのは23年11月5日、恩師の作曲家・林哲司氏の50周年ライブだった。
昨年の40周年ツアーは、廣石さんの体調不良により、小川幸夫をサポートドラマーに迎えて実施された。同年5月のNHKホール公演を廣石さんが訪れ、「『次回のために頑張りましょう』って言って別れた」(杉山)のが最後だった。「復活したらまたオメガトライブでという段取りにはなっていた」(杉山)が、約束はかなわなかった。
日比谷野音は03年にソロ公演を行った杉山が、楽屋を訪ねた大島孝夫に「おいオメガやるぞ!オメガのツアーやるぞ!」と再集結を宣言したり、前身バンド「きゅうてぃぱんちょす」としてオメガの前座を務めたりした思い出深い会場だ。
再整備工事のため9月20日で営業終了する日比谷野音を杉山がソロ公演のために押さえており、「廣石君がこういうことになったので、もう一回みんなで思い出してあげようよと、しのぶために、廣石をみんなで送り出す会にしようと、決まりました」(杉山)と、追悼ライブが決まった。
メンバーと廣石さんは10代からの仲。最も早い高校1年生の時に出会った吉田健二いわく「ずっと人生を歩んできた」。
メンバーは「いないと楽屋が盛り上がらない」(吉田)「ものすごく真面目、アウトローにならない」(大阪哲也)「言葉に重みがあるというか説得力があるというか、大事なところを見ている」(高島信二)「寡黙なんだけど、ポツッと(発する言葉が)なぜかチャーミング」(大島)「あいつといると気が楽になる。安心する」(西原俊次)「常に新しい物を持ってたり、一番早くウォークマンを買ったかもしれない。そういうのに敏感だったり」(杉山)と人柄をしのんだ。
今回のライブで、高島は「彼のことだから当日は一時的に降りてくると思う。俺等は頑張ってやってるぞって姿をもう一回見てほしいし、僕らは練習してうまくなっておくので、そちらでも練習しておいてくださいというような、刺激になるような感じになればいいな」と期待する。
杉山は「お客さんも含めて全員で、どこにいるか分からないけどそこら辺にいる廣石に『おーい廣石』って呼びかけながらやりたいな。廣石を見送るタイミングで日比谷の野音と一回終わるっていうのもタイミングが合って、不思議な縁を感じますね。だから楽しんで終わらせたい」と語り、吉田は「うちらの廣石愛を一緒に感じてもらえればいい」と呼びかけた。
また、WOWOWの生中継が入ることを、杉山は「1人も欠けないでずっと一生やっていくのが理想なんですけど、欠けてしまったからにはこれを形に残せて皆さんの記憶に残せるのはいい。目いっぱい楽しんでいただきたい」と歓迎。高島は「廣石って霊感が強いところがあった。ひょっとしたら(画面の)どこかに映るかもしれない。楽しみに」とおちゃめなメッセージを送った。
◇杉山清貴&オメガトライブ(すぎやま・きよたか・あんど・おめがとらいぶ)1983年、シングル「SUMMER SUSPICION」でデビュー。「君のハートはマリンブルー」「ふたりの夏物語」などがヒット。85年、アルバム2作がオリコン1位。同年解散。メンバーは杉山清貴(ボーカル)、吉田健二(ギター)、高島信二(同)、大島孝夫(ベース)、西原俊次(キーボード)、廣石惠一(ドラムス)。インタビューにも参加した大阪哲也(キーボード)はサポートで、10代からの仲。
