【ヤマヒロのぴかッと金曜日】青春が蘇る重鎮とのご縁“私でいいんですか~?”

 「ちょっと君、どういうことやねん!」。若かりし頃、とあるイベントの司会をしていた私のところに、血相を変えて詰め寄る一人の男性がいた。その頃すでにラジオ・テレビでも活躍していた放送作家の重鎮、新野新さんである。

 デビューしたての歌手がガチガチに緊張していたので、歌い終わったあとその子の緊張をほぐそうと「めちゃめちゃ良かったよー。(前に歌った)シャンソンとか飛んでたもん」と言ってしまったのだ。「あの言い方はなんなん!シャンソンの人に失礼でしょうがッ!」。おっしゃる通り、失礼極まりない話で新野先生が怒るのも当然だ。「スミマセン、スミマセン」。何度も頭を下げながら、心の中では「わっ、新野新や!やっと会えた」。不謹慎にも、私の身は打ち震えていた。

 『ぬかるみの世界』(OBC)という番組を覚えているだろうか?1978年4月から12年間続いた関西の伝説のラジオ番組である。当時、既に関西の人気者だった笑福亭鶴瓶さんの新番組がラジオ大阪で始まるということで心待ちにしていた当時高校生の私は、初回からとてつもない衝撃を受けた。コーナーなんてない。男同士でずっとしゃべってるだけ。

 「なーにを言うてんねん。つるべくん、君なぁー」。このおっさん、誰やろ?俺たちの兄貴分(リスナーはみんなそう思ってた)の鶴瓶さんに、えらい上からモノ言いよんなあ。「クックックックッ」。あれっ、今度は笑ろとる。このヒト、こんな笑い方するんや。

 笑ろたり、怒ったり、ゲストと本気でケンカしたり。年下の鶴瓶さんがムキになって何か叫んでるのに、また笑ろてるやん!?このお相手の男性こそが、後年、駆け出しのアナウンサーだった私を大声で叱り飛ばしてくれた新野新さん、その人だったのである。

 『ぬかるみの世界』は、それまでのラジオとはまったく違う、全てをさらけ出したようなそんな番組だった。日常生活では誰も話してくれない大人の心得。心の襞(ひだ)をこすり取ったような表現。トークテーマ自体が放送コードギリギリ(いや、たまにギリギリを超えてた)なものだから、日曜深夜というのにアドレナリン出まくりでラジオにかじりついていた。今の時代、あそこまでとがった放送はできないが、私のラジオの原点は間違いなく『ぬかるみの世界』にある。

 先日、90歳になった新野新さんの足跡をしるした『小バラ色の人生 新野新で語る大阪放送界史・鹿島我編(神戸新聞総合出版センター)』が出版され、その中で『ぬかるみの世界』について語らせてもらった。

 弟子の一人、鹿島我さんから取材を受けた際「確かに、ぬかる民(リスナーのことを、ぬかるみんと呼ぶ)ではあるけど、新野先生とは一回しかお会いしてないし、その一回も叱られたから」と言ったら、鹿島氏いわく「大丈夫、覚えてませんから」。

 宇野宇(うの・う)さん、白尾城(しろお・しろ)さん、鹿島我(かしま・が)さん。新野新という名は本名だが、回文のような名前が弟子の証らしい。もし私が弟子にしてもらってたら山本山と名付けてもろたんやろか?「アホ言いな。君を弟子になんかするわけないやんか!」。もういっぺん怒ってほしいわ~。(元関西テレビアナウンサー)

 ◇山本 浩之(やまもと・ひろゆき)1962年3月16日生まれ。大阪府出身。龍谷大学法学部卒業後、関西テレビにアナウンサーとして入社。スポーツ、情報、報道番組など幅広く活躍するが、2013年に退社。その後はフリーとなり、24年4月からMBSラジオで「ヤマヒロのぴかッとモーニング」(月~金曜日・8~10時)などを担当する。趣味は家庭菜園、ギターなど。

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