長嶋茂雄さん死去 同じ世界に身を置いた一茂 偉大な父の背中追うも挫折 96年父の口から戦力外通告

 プロ野球・巨人で選手、監督として活躍し、球界の枠を超越した戦後最大のスーパースターだった長嶋茂雄さんが3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で死去した。89歳。千葉県出身。

 昨年5月3日の巨人-阪神戦で、球団創設90周年を記念して開催された「長嶋茂雄DAY」。東京ドームのバックネット裏には、長男でタレントの長嶋一茂(59)の姿があった。多忙な中で球場を訪れ、グラウンドに車椅子で登場した父のセレモニーを見守り、その姿を目に焼き付けた。

 2004年3月、長嶋さんが脳梗塞で倒れ、都内の病院に緊急入院した時には、担当医とともに記者会見に臨んだ。

 日本代表監督としてアテネ五輪を控えていたミスターを突如襲った病魔。激務を全うできるかどうかを問われると「個人的な言葉で言うと無理はしてほしくないが、プロ野球ファンと国民が期待をして、父も準備をしてきた。行けないとなると、父にとっても無念でしょう。でも無理はしないでもらいたい」。

 ミスタープロ野球として生きてきた父の立場、五輪で指揮を執ることへの父の執念をおもんぱかりつつも、家族として苦しい胸の内を吐露した。

 緊急入院直後は、亜希子夫人、一茂、三奈さんら2男2女の4きょうだいが、ローテを組んで父に寄り添ったという。

 アテネ五輪での指揮はかなわなかったが、過酷なリハビリを経て復活。1年4カ月ぶりに東京ドームに観戦に訪れた際には、巨人の球団代表特別補佐として付き添った。

 一茂が誕生した1966年1月26日は、茂雄氏と亜希子夫人の初めての結婚記念日だった。伊豆から急ぎ帰京したミスターが、生まれたばかりの長男と対面し「結婚記念日に、しかも男の子が生まれるなんて最高だよ」と喜びを爆発させた様子はスポーツ紙の1面で大きく報じられた。

 茂雄氏はプロ17年間で通算444本塁打、首位打者6回、最多安打10回を獲得。華やかな守備でもファンを魅了した。74年の引退まで戦後最大のスターとして歩んできた父が特別な存在であることを、一茂は幼心に理解していた。家族そろって一緒に食事をした思い出はない、とも明かしている。「野球一筋で、皆さんのために、家族を犠牲にしながらもプロ野球を盛り上げてきた」。そう述懐したこともある。

 父の道をたどるように自身も立教大からプロ入り。87年のドラフト1位でヤクルトに入団し、93年には父が監督を務める巨人に移籍したが、大きな実績を残すことはできなかった。96年には父から自宅に呼び出され「おまえは、来年の戦力に入っていない」と戦力外を通告された。

 同じ世界に身を置いたことについて「日本だと、おやじの話を絶対に聞く。野球をやっていたから常に比較対象にされた」と苦しかった過去について話したこともある。

 07年9月には一家を支えていた亜希子さんが逝去した。それから18年、国民的スーパースターとしての人生を貫いて逝った父の傍らには、一茂の姿があった。

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