みのもんたさん死去 80歳 病魔と闘った人生 全盛期はレギュラー16本 一時代築いた名司会者

 数多くのテレビ番組で司会者として活躍し、“視聴率男”の異名を取ったみのもんた(本名御法川法男=みのりかわ・のりお)さんが1日未明、死去した。80歳。東京都出身。家族葬を行う。お別れの会を開く予定はないという。1月中旬に心肺停止となり、そのまま入院。関係者によると一時は、意識不明の重体だったという。全盛期は16本のレギュラー番組を持ち、一時代を築いた名司会者が、力尽きた。

 独特の“みの節”でさまざまな事象にズバッと切り込んできたレジェンド司会者が、波瀾(はらん)万丈の人生を終えて、天国に旅立った。

 関係者によると、1月中旬に牛タンを喉につまらせ救急搬送。一時は心肺停止に陥るなど、意識不明となったという。入院生活が続き、鎌倉市内の自宅に戻ることはかなわなかった。

 1967年、立教大卒業後に文化放送に入社。「セイ!ヤング」のパーソナリティーで若者から圧倒的な支持を受けると、次第に活動の幅が広がっていった。

 79年にフリーとなるとテレビ進出を果たし、「プロ野球ニュース」や「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」で切れ味鋭い話術を生かした。「午後は○○おもいッきりテレビ」(日本テレビ系)、「みのもんたの朝ズバッ!」(TBS系)など情報番組の司会者としてお茶の間の“顔”となっていった。

 バラエティー番組でも才能を発揮。「クイズ$ミリオネア」では「ファイナルアンサー?」の決めぜりふが大流行し、「秘密のケンミンSHOW」などレギュラー番組を多く抱えた。2006年には「1週間で最も多く生番組に出演する司会者」としてギネス世界記録に認定された。

 一方で、私生活では試練が続いた。12年に妻・靖子さんが死去。13年9月には日本テレビ社員だった次男が不祥事を起こしたことから、「朝ズバッ!」などを降板していた。

 病魔と闘った人生でもあった。06年に脊柱管狭窄(きょうさく)症の手術を受け、20年3月に「秘密のケンミンSHOW」を勇退。脳の異常が原因で体の動きに障害が出るパーキンソン病も公表した。糖尿病も長年、患っていた。

 活動の幅は広く、かつてデイリースポーツの連載コラムも担当していた。21年5月の連載最終回では自身の人生について振り返っている。

 「僕の人生には多くの逆境があった。叩かれる時は叩かれる。褒められる時は褒められる。いろいろあったけれども、どうってことはなかったね」

 「かつては寝る暇もないぐらい仕事してたけど、今思えば『何も分かってなかったな』と思う。それでも一つの時代をなんとなく作ったりかたどったりしてきた自負はある」

 酸いも甘いも知り尽くした生涯。天国では大好きな酒を片手に、これからのテレビ業界を見守ってくれるだろう。

 ◇みのもんた 本名御法川法男(みのりかわ・のりお)1944年8月22日生まれ、東京都出身。立教大卒。67年、文化放送入社。「セイ!ヤング」パーソナリティーとして人気を博す。79年にフリー転身し「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」でブレーク。「午後は○○おもいッきりテレビ」「みのもんたの朝ズバッ!」などの司会者として高い支持を獲得。「クイズ$ミリオネア」「秘密のケンミンSHOW」「学校へ行こう!」「どうぶつ奇想天外!」、05年のNHK紅白歌合戦などで司会を担当。13年、身内の不祥事で複数の番組を降板。家族は12年に死去した妻と2男1女。家業の水道メーター会社社長も務めた。

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