みのもんたさん悼む 明かしてくれた「言える範囲のすべて」偉ぶらない温かな人 道を照らしてくれた人生の先輩
数多くのテレビ番組で司会者として活躍し、“視聴率男”の異名を取ったみのもんた(本名御法川法男=みのりかわ・のりお)さんが1日未明、死去した。80歳。東京都出身。家族葬を行う。お別れの会を開く予定はないという。
名司会者として人気を博したみのもんたさんは、酒を愛し、人を愛した。生前、親交が深かったデイリースポーツの元担当記者が思い出を振り返った。
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こんなに情に厚い人を知らない。
お付き合いの始まりは1990年代、TBS「どうぶつ奇想天外!」の記者懇親会だった。みのさんの豪快な飲みっぷりと本音トークで、ひよっこ記者だった私は仰天。みのさんの「またやろうよ!」の一声で、不定期に記者たちとみのさんが集まる場ができた。お茶目な人で、突然鴨居にぶら下がり「なまけもの」とおどける姿に驚かされたり、持っていた電話をいきなり渡されみのさんの親友の俳優さんとぎこちなく会話したことも。ある時は「紅白の司会を前に腰を手術する。脊柱管狭窄症だ」と突然明かし、一般紙の記者を含めた全員が原稿を書きに走ったこともあった。
取材から逃げない人だった。いつも「僕は隠さないよ」と正直であることを是とし、口にしたことには責任を取るという覚悟があった。文化放送在籍中に系列新聞社での記者研修の経験からだというが、「朝ズバ!」で報道番組のキャスターを務めた矜持もあったのだろう。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などでの「伝える」という仕事を愛していた。本紙連載コラム「木曜ズバッと!」の取材も楽しみにしてくれていたようで、いつも笑顔だった。
いい事も悪い事も「言える範囲のすべて」を明かしてくれたと思う。最愛の夫人を亡くした時、家族の不祥事で番組を降板した時、パーキンソン病を公表した時…。こちらの厳しい質問にはいつも、「記者なんだから知りたがるのは当然」と対応してくれた。
知り合って30年の時が流れた。出産した人、私のように異動した人、会社を辞めた人など記者側の環境も変わり、人数も減ったが、みのさんは変わらず声をかけてくれた。最後に会ったのは昨年の7月1日。酒量は減っていたが、前向きで陽気なみのさんだった。「原田くんがラジオの記念特番に差し入れてくれたあのお酒、忘れられないなぁ」と笑っていた。
クセ強なイメージはあるが、実際のみのさんは偉ぶらない温かな人。人生の先輩として道を照らしてくれたあの人にもう会えないなんて…。30年間、信頼してくれてありがとうございました。
