名実況は神様が言わせた? 第1回WBC準決勝・韓国戦をレジェンドアナが語る
8日に開幕するワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、栗山英樹監督(61)率いる侍ジャパンは3大会ぶりの世界一を目指す。大舞台を前に、WBCをレジェンドアナウンサーが振り返るインタビュー「実況アナウンサーが語るWBC・伝説編」。今回は第1回大会(2006年)の準決勝で「生き返れ、福留!」の名実況を残した元TBSのフリーアナウンサー、松下賢次氏(70)が当時の熱気を証言する。
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王貞治監督のもとにイチロー外野手、松坂大輔投手、上原浩治投手らが集い、初代王者となった2006年大会。大リーガーはイチロー選手と大塚晶則投手のみだったが、後に海を渡る選手が9人という豪華布陣だった。
日本で行われた第1ラウンドを2位通過し、米カリフォルニアでの第2ラウンド初戦で米国と激突。世紀の大誤審と呼ばれる、勝ち越しのタッチアップを一転アウトにされるジャッジにより敗れた。続くメキシコには勝ち、3戦目が韓国。松下氏が実況を担当した。
「ひどいくらいのアウェーで、ソウルの野球場でやっているよう。韓国語が分かる人に『なんて言ってるの?』って聞いたら、とても言えないような言葉が飛び交ってました」
結果は敗戦。中立に実況していたつもりだが、「ブログをやっていたんですが、電話で『大変なことになってます。炎上してます』と連絡があって、見たら『負けたのはおまえのせいだ』『帰ってくるな』と書かれていて。久しぶりに『非国民』って言葉を見ました」。第2ラウンド突破は絶望的だった。
準決勝の実況も予定していたが、日本が進出しなければ中継はしない方針。「もう帰り支度をして、お疲れさま会だねって」。しかし最終戦で、米国がメキシコに敗れる。
1勝2敗で3カ国が並び「『ルールは?日本が準決勝?』ってなって、じゃあ、やるしかないって気持ちが入りましたね」と回想。当時、準決勝でぶつかる韓国戦は、実況をするとサッカーを含め4連敗中だった。
「これで負けたら、本当に日本には帰れないと思いました。下手したら、家に火をつけられるんじゃないかと思った。悲愴(ひそう)感はありましたよ。命をかけるくらいに気持ちを込めてやってました」
大会を通じて2敗していた韓国戦に向け、日本は打順を変更する。1番のイチロー選手を3番に移動。不振の福留孝介外野手をスタメンから外した。
福留選手とは、彼が19歳だったアトランタ五輪以来の長い付き合い。00年に長嶋ジャパンがアテネ五輪の予選を突破した際には、打ち上げの会場に呼んで一緒に祝杯を挙げたこともあった。「『もののけ姫』の歌を変な声で歌っててね。そんな思い出もあったからさ」。思い入れはひとしおだった。
六回まで両軍無得点。重苦しい雰囲気の中、日本は七回に1死二塁のチャンスを迎える。代打・福留。王監督が勝負に出た。
見逃してボール。外角低めを取られてストライク。3球目。「生き返れ、福留!」。松下氏が祈りを言葉にした瞬間に福留選手はバットを一閃(いっせん)し、打球は右翼席に着弾。値千金の勝ち越し2ランとなった。「生き返ったぞ、福留!」。この一打で勢いに乗った日本は、頂点まで駆け抜ける。
奇跡のようなタイミングの名実況。「たまたまですよ。でも、あれだけドンピシャと当たることはそうはないよね。神様が言わせたんですかね?」。松下氏は、少しだけうれしそうにはにかんだ。
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松下氏は今大会のキーマンにダルビッシュ有投手を挙げた。第1回で精神的支柱となったイチロー選手の立場を重ねる。
「あの時は周りを見渡したとき、イチローは自分が奮い立たせないと勝てないと思ったんだろうね。悔しさを爆発させたり」
当時、イチロー選手はチームをまとめるだけでなく、会見などで「向こう30年は日本には手は出せないなという感じで勝ちたいと思う」「僕の野球人生最大の屈辱」などと、あえてパワーワードを発して選手たちを鼓舞。
ダルビッシュ投手も「戦争に行くわけじゃない」など印象的な言葉を残しており「今回はダルビッシュがそういう感じだよね。食事会を開いたりね」と無形の力にも期待した。
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◆松下賢次(まつした・けんじ)1953年3月2日生まれ、東京都出身。慶大卒業後の75年にTBS入社。アナウンサーとしてアテネやバルセロナの五輪実況を歴任。サッカー日本代表の試合では“マイアミの奇跡”と“ドーハの悲劇”を担当している。他にも日本が初めてスコットランド代表を破ったラグビーの国際試合(89年)やマスターズゴルフ(計13回)を実況。86~89年には「ザ・ベストテン」の司会を務めた。
