小松政夫さん死去 肝細胞がんで闘病中も仕事、11月末「ガクンと体力落ち」入院

 さようなら、小松の親分-「しらけ鳥音頭」などのヒット曲や「知らない、知らない」など数々のギャグでお茶の間を席巻したコメディアンの小松政夫(こまつ・まさお、本名松崎雅臣=まつざき・まさおみ)さんが7日午前6時45分、肝細胞がんのため東京都三鷹市の病院で死去していたことが11日、分かった。78歳。福岡県出身。葬儀は同日、近親者で行った。喪主は妻松崎朋子(まつざき・ともこ)さん。

 朋子さんによると、小松さんは「自分ががんだって知っていました」という。昨年10月31日~11月4日、舞台「『うつつ』小松政夫の大生前葬」に主演したが、朋子さんは「肝細胞がんを患いながら舞台もやっていました」と打ち明けた。

 最後の仕事となったのは今年8月23日からNHK BSプレミアムで放送された連続ドラマ「すぐ死ぬんだから」。主演の三田佳子によれば、撮影はコロナ禍で2カ月半中断したといい、病を押して臨んでいた。

 小松さんは「入院するまでは本を読んだり、舞台のことを話したりして過ごしていた」が、11月末に「ガクンと体力が落ちて、立ち上がれなくなり」、入院した。

 「舞台の話をしたり、『もっと歩きたい』という話をしていました。まだまだ舞台をやるつもりでした」と復帰への意欲を失わなかったが、「食欲も何もなくなって、話もできなくなって、最後の方は意識もなくなった」という。亡くなる前日には「帰りたい、帰りたい」と願ったが、望みはかなわなかった。

 小松さんは、俳優を夢見て博多から上京。1963年、当時人気絶頂だったクレイジーキャッツの植木等さんの付き人に採用された。芸名は植木さんが「小松」と呼び出したことから来ている。

 68年、日本テレビ「シャボン玉ホリデー」でデビュー。76年、伊東四朗と共演したテレビ朝日「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」での「しらけ鳥音頭」や「デンセンマンの電線音頭」が大ヒットし、「知らない、知らない」、「どうかひとつ」、「なが~い目で見てください」などのギャグでも人気を集めた。

 俳優としても舞台、映画、ドラマで活躍した。文才も豊かで、2017年には自伝的長編小説「のぼせもんやけん」がNHKで「植木等とのぼせもん」としてドラマ化。山本耕史が植木さん役、志尊淳が小松さん役で、小松さんはナレーションを担当した。

 11年には日本喜劇人協会の第10代会長に就任、最後まで喜劇の発展に努めた小松さん。“オヤジさん”と慕った植木さんにねぎらわれていることだろう。

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