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【大橋未歩のたまたまオリパラ!】人生は「たまたま」の連続-忘れていた当たり前のこと

 今も私の脳は4カ所死んでいる。病変部分だけ不気味に白く発光しているレントゲン画像を見て唖然とした。34歳、脳梗塞だった。

 五輪に行きたくてアナウンサーになった。その夢は有難いことに叶えられ、3大会で五輪キャスターを務め、未来に思いを馳せていた矢先だった。

 入院したのは脳卒中フロア。脳梗塞や脳出血など脳の血管がトラブルを起こす病気の総称を脳卒中という。麻痺が残り身体を引きずって歩く患者を幾度となく目にした。私は左半身が麻痺して倒れたものの15分程度で回復し、回らなかった呂律(ろれつ)も戻り、すぐに歩けるようになった。どうして自分の身体は自由に動くようになったのか不思議でならなかった。「なんで後遺症残らなかったんですかね?」。主治医に聞いた。「たまたまです。たまたま壊死(えし)した場所が致命的な箇所を外していたんですよ」

 -たまたま。

 重い言葉だった。ある日突然、たまたま脳梗塞で半身麻痺になり、たまたま後遺症が残らなかった。ただそれだけなのだ。人生なんてたまたまの連続のはずなのに、そんな当たり前のことを忘れてしまう。自分の人生の手綱は自分だけが握っていると、いつのまにか思っていた。傲慢だった。

 病院ですれ違う後遺症を持った患者に、自分が重なって見える。すると今まで「健常者」「障害者」という言葉を舌滑らかに発していた自分が怖くなった。その言葉を使う時、両者は永遠に別の世界の住人だと思っていやしなかったか。両者の間に厳然と横たわっているように見えた境界線は、実はとても曖昧なものなんじゃないか。

 ふと過去の自分を遡(さかのぼ)って胸がチクッと痛んだ。私は五輪は3度も伝えてきたのに、パラリンピックは1度も伝えたことがない。ちょっと変な気がした。

 休職8カ月を経て2013年9月に復職。時を同じくして東京2020開催が決まった。

 これもたまたま。

 この連載初回をあなたが読んでくれたのもたまたま。このたまたまの出会いにしばしお付き合い頂けたら嬉しいです。

 ◆大橋未歩(おおはし・みほ)1978年8月15日、神戸市出身。フリーアナウンサー。2002年入社のテレビ東京時代にアテネ、北京、ロンドン五輪を取材。18年にパラ卓球アンバサダー就任。19年から「東京2020パラリンピックの成功とバリアフリー推進に向けた懇談会」メンバー、パラ応援大使でも活躍。

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