ジャニーさん「ジャニー」の愛称とアメリカ 世界進出への思い

 ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川(本名・喜多川擴=きたがわひろむ)氏が9日午後4時47分、都内の病院で、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血で亡くなった。87歳だった。ジャニー氏は1962年の事務所創業以来、初代ジャニーズに始まり、フォーリーブス、近藤真彦、少年隊、SMAP、嵐など途切れることなくスターを輩出。男性アイドルのブランドを一代で築き、名プロデューサーとして手腕を発揮した。

 ジャニー氏は、高野山真言宗米国別院の僧侶・喜多川諦道さんの次男として1931年10月23日にロサンゼルスで生まれた。その後、祖父のいる和歌山に移ったが、47年に渡米し、ロサンゼルスの高校に進学。当時、日本の芸能人が高野山米国別院の会堂で行う公演を手伝い、田中絹代さん、笠置シヅ子さん、美空ひばりさんらと交流。プロマイドを3枚1ドルで売り、収益を本人らに渡したという。当時から肖像権の意識を持ち、この頃からショービジネスへの意識が芽生えた。

 ショービズ関係で知り合ったアメリカ人から「ジャニー」という愛称で呼ばれるようになり、1962年、英語で「ジャニーの」の意味にあたる「ジャニーズ」事務所を設立する。

 アメリカでショーの手伝いをしていた頃にさまざまな歌手からもらった「ジャニーへ」と書かれたサインを終生大切にした。

 本場でショービズに触れた若き日の経験が、87歳で亡くなるまでエンターテインメントへの情熱を燃やし続ける原動力となった。

 ラスベガスで話題の新作が上演されれば、タレントを連れて現地で鑑賞。演出へのヒントにするとともに、タレントたちにも“本物”“世界”への意識を植え付けた。2011年、自身が2部門でギネスに認定された際、こう語った。「ギネスがあれば(海外進出)しやすくなる。外国のショービジネスで権威付けになる」。全ては“息子たち”である所属タレントの世界進出への熱い思いだった。

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