市村正親、浅利さんから金言数々「お前はクレソン」「人の時計をのぞくな」

 浅利慶太さんの訃報を受け会見する市村正親=東京・目黒のホリプロ
 浅利慶太さんとの思い出を語る市村正親=東京・目黒のホリプロ
浅利慶太さんとの思い出を語る市村正親=東京・目黒のホリプロ(撮影・村中拓久)
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 劇団四季出身の俳優・市村正親(69)が18日、都内で会見を開き、同劇団の元代表である演出家・浅利慶太さん(享年85)の死を悼んだ。浅利さんは13日午後5時33分、悪性リンパ腫により亡くなった。

 この日、市村は大阪でのミュージカル「モーツァルト!」の千秋楽を迎えていたが、恩師の訃報に触れた。すぐに帰京し会見に臨んだためラフな格好で姿を見せた。

 73年に劇団四季の「ジーザス・クライスト=スーパースター」でデビューし、その後、正式に同劇団に入り演技を磨いた。おととし、自身のひとり芝居「市村座」の稽古をしている合間に15分ほど話す機会を持てたのが最後になったという。その時「お酒は飲んでるのか」「お前の芝居を見たいな」といった何気ない会話を交わしたが、「お別れさせてくれたのかなと。今、思うとね」としみじみと振り返った。

 浅利さんは「ほめて、ほめて、びしっと叱る。叱ってこっちが傷ついているとすっと上げてくれるんですね」と指導がうまく、数々の名言を受けたという。

 「役者っていうのは女優の斜め後ろに立て」、「役者は役を必死に生きていれば、役の仮面が透けて役者の顔が見えてくる」、さらに、「芝居の演技っていうのは、蓮の上の水玉のようなものだ」というものもあった。最後の言葉は「どう動かしてもキラキラしていて同じ形は二度としていない」という真意が込められていて、二十代後半に聞き、三十代後半までつかむのにかかったというが、物にした時に「名優・市村が誕生したんでしょうね」と笑顔をつくって、浅利さんを偲んだ。

 “名言”で言うと、同じ「ジーザス・クライスト=スーパースター」でデビューし、70年代に劇団四季の看板俳優として活躍した鹿賀丈史と比較され、「鹿賀がステーキなら、お前はクレソン」と言い放たれたこともあった。「クレソンっていうのはステーキの横になくちゃいけないもの」という真意が込められていたといい、「太陽があって、月があるんだなと僕は思ったので、月の演技を追っていけばいいんだ」と役者としての道しるべにしたという。「最近はミニステーキぐらいにはなったかな」と苦笑しつつ、長いキャリアの道筋をつけた浅利さんに「偉大な演劇のお父さんかな。僕にとっては」と感謝した。

 人と比べて焦らないように「人の時計をのぞくな」ともたしなめられたという。こうした数々の言葉に「死ぬまで言い続けようと思っているのは浅利さんの教え」と語った。「教えをこれからも守りつつ、なおかつ先輩として浅利さんが残してくれた言葉を、僕なりに、後輩たちにもつないでいきます」と誓いを立てた。

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