BRAHMAN・TOSHI-LOW語る(4)「満月の夕」と震災(後)

 4人組ロックバンド「BRAHMAN(ブラフマン)」が今年2月、5年ぶりのフルアルバム「梵唄-bonbai」をリリースし、3月から約3カ月間の全国ツアーを行っている。

 BRAHMANは東日本大震災の発生後、いち早く、そして今に至るまで被災地に足を運んで、精力的な支援活動を続けてきた。

 「梵唄」には阪神・淡路大震災から生まれ、災害の死者への鎮魂歌として、また被災者に寄り添い励ます歌として世界中で歌われるようになった「満月の夕」(ソウルフラワー・ユニオン、HEATWAVE)のカバーと、BRAHMANが東日本大震災から生み出した「ナミノウタゲ」を収録。「満月の夕」には作者の中川敬(ソウルフラワー・ユニオン)と山口洋(HEATWAVE)が参加している。

 ボーカルのTOSHI-LOWインタビュー(4)は、「満月の夕」と東日本大震災について語る後編。

  ◇  ◇

 -4月10日には神戸公演があります。阪神・淡路大震災がきっかけでできた「満月の夕」を神戸で歌うことについて、どのように考えていますか。

 「地のところでやるのは新しい響き方をすると思っているし、楽しみです。(『満月の夕』を神戸で演奏したことは)弾き語りとかではもちろんあるんですけど、バンドではないですね、まだ」

 -近隣の中川さんがいらしたりとか。

 「声かけてみましょうか。前もRUSH BALL(大阪のフェス)の時に来てもらって、最後。中川敬が入って。山口でやったWILD BUNCHってフェスでは、(福岡の)山口洋に来てもらって。お互い地元に近いフェスだったんで、すごい鳴り方がいいんですよね。

 地の物を信じてる方なんで。そこの地方の人がそこで歌うとか。あるべき姿に、あるべき場所に戻すというか。『満月』も阪神・淡路がなかったらこういう歌だったのかなみたいなイメージもあるというか。自分たちが完成形っていう意味ではなくて、想像図上の。震災が起きなくて、2人がサビを作って、『じゃあ俺がギター入れて、俺が三線入れて、じゃあバックのバンドは誰にやってもらって』とかになったら、もしかしたらこういう形だったのかなとか。もっと激しかったのかなみたいなイメージはふくらませてやってみたい」

 -それぞれの歌詞を混ぜて歌ったのも、「満月の夕」を本来の姿に戻すような意味合いがあった。

 「そうなんですよね。中川敬バージョンはけっこうソウルフラワーが歌ってるって有名なんですけど、カバーしてる人たちがいっぱいいて、調べると山口洋バージョンが多いんですよね。っていうのは、がれきの町に踏み入れて見る風景って、そういう経験ってしないじゃないですか。ってことは、山口洋の書いてる歌詞に共鳴を受けるんじゃないか。『どっちかっていったら私こっちだ』ってなる人が多いんだろうなと思って。

 自分は行動してしまった方なので、もちろん中川の方が大半なんですけど、でも中川バージョンには見えてない、外側の人の気をもんでいる気持ちというか、寄り添いたいけど離れてるとか、言葉がすごく無意味に聞こえる無常観であるとかっていうのを-俺は山口洋バージョンの3番を4番にしちゃってるんですけど-あの一角がダルマの目みたいになっていて。それを山口洋本人に、RISING SUNの帰りバス一緒だったんで空港まで1時間力説して、なんで『満月の夕』にこの歌詞が必要かって話をして。

 降りる時に本人が『俺もうこの歌をあんま歌いたくないし好きじゃなかったけど、そういうふうに言ってくれて、また歌おうかなって思ってる』って言ってくれて、それすごいうれしかった。たぶんどこ行っても『満月の夕』の話ばかりされるんだと思うんですよね。どうしても。内情知ってる人はああだこうだ比べるだろうし。1月17日がなかったらとかそんなもんなかったとか言ってもしょうがないけど、こういう歌になったんじゃないかなあみたいな」

 -TOSHI-LOWさんがやることで、山口さんもこの歌の呪縛のようなものから解放されたのかもしれないですね。

 「だとうれしいですね。そういえば、震災の時デイリーが一番はじめに俺たちのライブを取り上げてくれたんですよね。一番はじめに俺たちが4月の8日に盛岡行って、その後に仙台行ってやった、被災地で初めてライブが行われたみたいなのを取り上げてもらって。おかげですごいまた売名ってたたかれて(笑い)。強くしてもらってありがとうございますっていう(笑い)。俺も売名か、今さらと思ったけど、そう見えるんすね、やっぱり。

 ここまでずっと関わるとは思っていなかったし、むしろ今、各地被災地にも友達も多いし、そういう人たちが武道館に集まってくれたのもうれしかった。石巻の漁師が来て、福島の原発作業員が来て、熊本の農家も来て。別にボランティア団体をやりたいとかそういうことじゃないんだけど、そういうのが集まる場所としても武道館…要は、怒髪天の増子(直純)さんが『武道館って、自分たちのためにやるんじゃないんだよ。人のためにやるんだよ』みたいなこと言ってて。確かに。そうか、人が集まる場所なんだ。だから、あそこに入れてもらってる感覚って何なんだろうと思って」

 -7年たって、被災地の現状に目が向かなくなっていることも指摘されます。

 「ホントの風化をしてほしいと思っていて。ホントの風化って、風が化けるって書く風化って、風がずーっと岩に当たって、砂になっていくのを風化っていうんだよって教わったことがあるんですけど。だからホントはずーっとそこと付き合うことで、大きな痛みみたいなのが全部細かくなって、そこの自然に消えてくみたいな、そういうイメージなんですけど。自分が風になれるんだったらなりたいなって思って。でもそれは年月かかりますよ。

 他の人が、社会がとかっては今は全く思ってないです。俺がやれることをやればいいだけで。しかも俺は使命感があるわけじゃなくって、やりたいってだけなので。行ったら楽しいし。だって、俺のことを全く知らないおばあちゃんみたいな人が俺のための飯作って待ってるような状態になるんですよ、福島で。『TOSHI-LOWさん』っていっぱい食べ物持ってきて。避難所で歌って出会ったっつうか。全く音楽好きじゃなかった人たちが。結局、自分のことを信じてなかったのは自分自身なんだなって思ってて。歌にそんな力ないと思ってたし、自分自身に、そんなことはできないよと思ってたし」

 -被災地と関わることで、音楽の力や自分を信じることができるようにもなった。

 「そうですね。音楽を通した社会現象とかではなくて、結局、人間と人間が作り出してることなんだから、人間と人間が一番近くにいて、歌も空気を震わせて聴ける位置にいるのが一番強いわけであって。だからいつまでも現場にいたい。現場で知ったことをずっとたぐり寄せていくと、あんま間違わない。次のやるべきことも見つかっていくし。それは離れている所で、どんなにパソコンで情報集めても出てこないですよね」

     (終わり)

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