小室激動の35年…90年代音楽シーン席巻、奔放な私生活で3度の結婚

 熊本の小中学生らと復興ソング作りをする小室哲哉=16年7月
 華原朋美(右)と紅白に出場した小室哲哉=97年
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 音楽プロデューサー・小室哲哉(59)の引退会見は19日、東京・青山の所属レコード会社・エイベックス本社で開かれた。小室は1時間40分にわたって心境を告白。栄光と挫折の音楽人生を送った小室に向けて、TKファミリーからは惜別の声が続々と上がった。

 激動の人生を送ってきた。84年に音楽ユニット・TM NETWORKのリーダーとしてデビュー。アニメ主題歌だった「Get Wild」のヒットで、88年にはNHK紅白歌合戦に出場した。

 作曲家としても頭角を現し、86年に渡辺美里の「My Revolution」が日本レコード大賞の金賞を受賞。90年代に入ると、音楽プロデューサーとして日本の音楽シーンを席巻した。

 trf、華原朋美、安室奈美恵ら手がけるアーティストが軒並みミリオンヒットを連発。95年に結成したglobeとしても、総売り上げ枚数2896・6万枚を記録した。手掛けたCDの売上総数は約1億7000万枚。長者番付の常連となった。

 暗転したのは、08年11月。詐欺容疑で大阪地検特捜部に逮捕された。すでに所有していない楽曲の著作権806曲分を譲渡すると偽り、投資家から5億円をだまし取っていた。年間10億円以上を稼いだ時代もあったが、裁判では海外進出事業の失敗などで多額の借金を抱え、それでも月数百万円を散財する生活が続いていたと明かした。09年5月に大阪地方裁判所が懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を下した。

 10年5月、AAAへのプロデュース曲で再出発。仕事を増やす中で、今度は11年10月に妻のKEIKOがくも膜下出血で倒れた。以降、障害が残る妻を支えながら活動を続けていたが、文春砲により幕を引いた。

 私生活でも87年に元アイドル・大谷香奈子と結婚し、92年離婚。華原と交際後、01年には自身のユニット・Kiss Destinationのメンバーだった吉田麻美と再婚するも02年離婚。同年、KEIKOと3度目の結婚と、浮き沈みが激しかった。

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