藤村俊二さん長男会見【一問一答】最後の会話は「親父でいてくれてありがとう」
1月25日に心筋梗塞による心不全で亡くなった俳優・藤村俊二さん(享年82)の長男で、所属事務所社長の亜実さんが1日、東京・フジテレビで会見。2015年10月から「体調不良」として、芸能活動を引退状態だったが、実は小脳出血で倒れていたことなどを告白。また、96年4月に再婚した、28歳年下のタレント(当時)・みか代さんと3年以上前に離婚していたことも明かした。【以下、亜実さんとの一問一答】
(フジテレビ1階のロビーで報道陣50人ほどに囲まれ)
「最初に倒れたのが2015年10月でした。小脳出血で倒れ、リハビリを頑張っていたんですけど、去年夏に肺炎を起こしまして、様態が少しずつ悪化していきました。何度も危険な時期を乗り越えたんですけど、先週25日に病院で、僕しか立ち会わなかったんですけど、少しずつ血圧が下がり始めて、そのまま亡くなりました」
-奥さんは?
「うちの父に奥さんはいませんでした。僕の知ってる限り、2013年12月には離婚していました。親父から(報告が)ありました。僕と2人で暮らしていました」
-2015年に“奥さん”が、藤村さんは引退したと(取材に対し)発言しているが。
「彼女も長年マネジメントをされていたので思うところがあったと思うんですが、自分はあまり彼女と連絡をとっていないのでわからないです。理由は聞いていません。そもそもプライベートの離婚に関して父が公表しなかったので、遺志を尊重しました」
-藤村さんは引退されるおつもりはなかった、と?
「本人は復帰するつもりで頑張っていたので。僕の方から正しい情報(※みか代さんの発言後に亜実さんが引退を否定)を出させて頂きました」
-倒れられたときの状況は?
「自宅で僕が夜ご飯を用意して、いつもおやじに声をかけるんですけど、その日は出てこなくて。おかしいなと思って寝室に行ったら、ぐったりしていたので救急車を呼びました。当初は意識がなかったです。そこから徐々に回復して。歩くこと、手足を動かすことはあまり問題なくて、ものを食べるリハビリを長く続けていました。誤嚥(えん)が怖いので、そこが起きないように、安心できるくらいものが食べられるように」
-会話ができたのは?
「去年の秋口ぐらいまでです。(意識は)あるときとないときがありました」
-最後の会話は。
「覚えています。『親父でいてくれて、ありがとう。息子でいられて幸せでした』と。『オレもだ』と言ってくれました。僕が病院から夜に帰るとき、おやじに感謝したくなって。それが最後だったと思います。僕はすごく幸せな(父が入院した)1年ちょっとでした。どこかのタイミングで、おやじと子供の頃の親子に戻れた感覚がありました」
-どんな父でしたか。
「実はですね、僕自身もどうやったらあんなに自由で、好きなように、しかも優しく生きられるのかな、とずっと思ってました。最近まで分からなかったんですけど、入院中に高熱が出て苦しいと思うんですけど、苦しんでいる表情をしないんですね。我慢している様子もなかった。
よく眺めてたんですけど、苦痛や不安にとらわれないことができるんだなと気付いた瞬間がありました。過去への後悔とか将来への不安とか、欲とか執着とかない人の近くにいるのは気持ちがいいことなのかなと思いました」
-(愛称)おヒョイさんの由来は。
「いくつか説があるんですけど、日劇の新人時代にエキストラでステージに上がるのに1人ぐらいいなくても大丈夫だろう、と帰っちゃったから(ヒョイといなくなるから)、おヒョイだと(本人が)言っていました」
-年金を死後のために貯めていたと聞くが。
「やってたと思います。そのようなことを言ってました“死んだら預金”」
-復帰してやりたいことはなにかあったのか?
「その瞬間を楽しく生きる人。これをやりたい、というのはなかったと思います」
-ワインバーを閉店したことについて
「15年間やりたかったみたいです。締めたのが14年目。あと1年やりたかったと言ってました。(閉店は)そのときの奥さんと決めたので、詳しくはわからないです。
『我が家にようこそ』みたいに言っていたので、自分の家みたいに感じていたんだと思います。仕事が終わって帰ってくると、必ずお店に行っていたので、ワインというよりその空間が好きだったんだと思います」
-ひつぎには何を入れた?
「本人がよく着ていたグレーのスーツ上下と、ピンクが好きだったのでシャツとチーフを胸に入れました。口ひげを生やしたままだったので、そろえて。おやじが入院してから、おやじのブレスレットをずっと着けていたので、それも入れました」
