長江健次 萩本欽一に不義理働き30年絶縁 フジテレビも出禁に
タレントの長江健次(52)が8日、テレビ朝日系の「しくじり先生 俺みたいになるな!!3時間SP」(後7・00)に出演し、芸能界で活躍するきっかけを与えてくれた萩本欽一に不義理を働き、その結果、30年間も絶縁していたことを告白した。
長江は1981年、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」のフツオ役でデビュー。同番組は最高視聴率38・8%を記録した人気番組だったことが紹介された。長江はイモ欽トリオとしてデビューし、「ハイスクールララバイ」が100万枚の大ヒットを記録した。
長江は「欽ちゃんのおかげで人気者になることができました」と感謝の言葉を示しつつも、萩本と絶縁していた期間が30年にもおよぶことを明かした。これには欽ちゃんファミリーの関根勤も「初めて聞いたよ」と驚いた。絶縁状態は「つい最近まで」続いたという。
長江は高校2年でデビュー。同3年の夏に「大学受験があるので欽ドンをやめたい」と萩本に申し出た。萩本は「頑張れよ」と送り出してくれ、記者会見の場も設けてもらった。
しかし、長江は「会見から2カ月後にこそこそ大阪でレギュラー番組を持った」と明かした。長江は世話になった萩本に「うそをつく不義理」を働き、それが業界をめぐってフジテレビを出禁に。5年前は仕事も収入もゼロになっていたという。
長江はさらに、萩本だけではなく明石家さんま、笑福亭鶴瓶にも不義理を働いた事を告白。2人に対して「おれの方がおもろいやん」と思うようになっていった。さんまにいじられることもいやになり、食事やゴルフの誘いもうそをついて断ったという。
年齢を重ねるにつれ自身の愚かさに気づいて反省し、萩本とも和解。「大将のあまりの心の広さに頭を上げることができなかった」と振り返った。
十数年連絡をしていなかったさんまの舞台も見に行き、受け入れてもらった。「感謝しても仕切れない」と心の深さに脱帽。鶴瓶にもあいさつに行き、鶴瓶は「おまえ、気づいただけで十分や。気づかないままのやつが多いんやから」と優しい言葉をかけてもらったという。
長江はテレビから“消えて”いた時期にスノーボーダーとして活躍。指導者として知られ、トリノ五輪ではスノーボードのコーチを務めていた。