米朝さん死去  ざこば涙で最期語る

 上方落語の大御所で、落語家として初めて文化勲章を受けた人間国宝の桂米朝(かつら・べいちょう、本名・中川清=なかがわ・きよし)さんが19日午後7時41分、肺炎のため入院先の兵庫県伊丹市の病院で死去した。89歳。

 一夜明けた20日、長男で落語家の桂米團治(56)と、一門の筆頭弟子である桂ざこば(67)は、大阪市で会見を行い“戦後上方文化の巨人”の最期の様子などを明かした。ざこばは涙ながらに師匠の死を悼んだ。

 上方落語界の重鎮は眠るようにして天に召された。筆頭弟子のざこばは「こない上手に…亡くなるというのは、こんなきれいなもんかなって思いました…すいません」と言葉を詰まらせ、涙ながらに師匠の最期を語った。

 長男の米團治は死の直前に医師から「はっきり言ってご寿命です。きれいにあちらへ逝かれる準備をされています」と説明されたと明かし、「そのとおり、全然苦しまず、皆が見守る中、眠るようにあちらへ逝きました。私は大往生だったと思っております」と報告。集まった約70人の報道陣を前に終始冷静に振り返った。

 19日は、大阪・動楽亭での出番を終えた午後5時過ぎに連絡を受けて、病院に駆けつけた。親族、ざこば、月亭可朝、一門の弟子たち約15人が見守る中、米朝さんは静かに旅立ったという。

 言葉を巧みに操った米朝さんだったが、晩年は返事や反応はあるものの言葉はほとんどなくなっていた。最期の言葉も「うん、うん」「ああ、そうや」という返事で、19日はひと言も発しなかったという。

 米朝さんは2009年3月、脳梗塞で倒れてから何度も入退院を繰り返し、13年1月に大阪市内で開かれた「米朝一門会」が最後の舞台となった。米團治によると、昨年6月に妻の絹子さんに先立たれてからは急速に元気をなくしていったという。夏と秋に肺炎で入院し、今年1月下旬には危篤状態に陥ったこともあったが、そのたび回復。しかし、再び奇跡は起こらなかった。

 残された米團治は「米朝の功績は偉大すぎます。一人では背負えるものではございません。多くの弟子が自分のできる範囲で分担して、背負っていきたい」と課せられた責任をかみしめた。ざこばは「こんなにすごい人はいない。自分ではきっと『もっとすごい人がいる』と言うだろうけど、私はいないと思う」と言い切った。

 米團治は会見の後、動楽亭に出演し、米朝さんが復活させた大作「地獄八景亡者戯」の一部を熱演。亡き父、亡き師匠が得意としていたネタを天に捧げた。

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