西内まりや支えた音楽…女優業に悩みも

 昨年8月に発売したデビューシングル「LOVE EVOLUTION」で、年末の「輝く!日本レコード大賞」最優秀新人賞を獲得した西内まりや(21)。ステージで「お母さん、取ったよ!」と絶叫した姿は印象的だった。10代女子のカリスマモデルから、悲願の歌手デビューを果たし、生涯一度の栄誉を手にしたが、「満足してられない」とどん欲な姿勢を貫く。その裏には、母から受け継いだDNAと苦悩があった。

 感激に浸ったレコ大から3時間後。都内で行われた祝勝会で、西内は宣言していた。

 「ここで満足していられない。来年はもっと進化します!」

 現状に甘んじず、どん欲に頂点を追求する姿勢は、水泳の元国体チャンピオンの母譲りだ。親戚にも全国大会経験者ばかり。家の至る所に賞状やトロフィーが飾られている環境で育った。

 「母の決まり文句は“やるからにはトップ”。ちょっとの活躍じゃ認めてもらえない。レコ大直後に、電話したら『よかったね』とほめてくれたから、やっと認めてくれた、と思ったら『でも、これからやね』って」

 西内も5歳から母が経営する水泳教室に通い、小学3年から始めたバドミントンで五輪を目指した。ジョギング6キロと腹筋500回、プロテインを飲むのが日課だった。

 そんなスポ根少女が中学1年のとき、現在の所属事務所にスカウトされた。練習のない土曜にレッスンに通うようになり、音楽に魅了された。「バドでは汗まみれのジャージーで怒られてばかり。ヒールとスカートをはいて、メークをする土曜日が待ち遠しかった」と振り返る。

 夢は、五輪から芸能界へ急旋回。8年前に母と2人で上京した。ほどなくしてファッション誌を飾りティーンのカリスマに。女優デビューも果たし、順風満帆と思いきや、ふさぎ込む日々が続いた。

 「他の人を演じたり、きれいに着こなす仕事で、自分を隠して演じなきゃいけないと思い込んだ。自分が出せなくなり、人とのコミュニケーションがトラウマになった」

 その頃つけていたのが「未来日記」。夢を描きながら自分と向き合ったノートに「2014年、歌手デビュー」と記し、地道にレッスンに励んだ。そして、昨年8月、未来は現実となった。

 「歌手は、私自身が問われるから、ありのままでいられる。悩んだ時期があったから今が幸せと感じられるし、浮かれていられない。ここがスタート」

 年末のイベントではダンス、ピアノ、ギターを披露、引き出しの多さを見せつけた。「ファンの方を毎回驚かせていきたい。今は自分も手探りしている状態。新しい歌手像を目指したい」と話す。

 都内でデビューイベントを開いた昨年8月、母が「次はあっちやね」と指さした先に、東京ドームがあった。実は未来日記にも書いてある。「2016年、東京ドームライブ」-。「自分で目標を高くしておけば、ぶれないで頑張れる」。そう語る西内のまなざしは、果てしなくまっすぐだ。

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