藤圭子さん“怨歌”体現!不世出の歌手

 昭和の歌姫として、音楽史に華々しい軌跡を残した藤圭子さんが22日、人生の幕を下ろした。貧困を極めた幼少期。デビュー後の1970年には、高度成長期から取り残された庶民の“怨歌(えんか)”を体現する歌手として、安保世代からも絶大な支持を受けた。その後の突然の引退、そして2人の夫との結婚、離婚を繰り返し、1人娘の宇多田ヒカル(30)を平成の歌姫に育て上げた。たぐいまれな才能を持った歌手・藤さんの62年の生涯とは‐。

 普段から無口だった。ベタベタした人間関係を築くこともなかった。藤圭子さんの絶頂期を知る関係者は「いつも孤独な感じだった」と振り返る。それが、藤さんの歌い上げた世界観だった。

 藤さんは51年7月5日、岩手県一関市で生まれ、北海道旭川市で育った。父は浪曲歌手。母は目が不自由な三味線奏者。幼いころから旅回りの生活を送った。関係者によれば「その日食べることもままならない、大変な生活だったようです」という。そんな貧しい生活を支えるために歌手を目指した藤さんを、作詞家の石坂まさを氏が見いだした。

 黒い髪に黒い衣装。ドスの利いた低い声で、夜の世界で生きる女の怨みを歌い上げる。18歳だった69年に「新宿の女」でデビューした藤さんは、1970年に「女のブルース」、「圭子の夢は夜ひらく」など次々にヒットを飛ばした。なげやりな歌い方や、若い女性にそぐわない歌詞は、70年安保世代の若者たちの絶大な支持を集め、その歌は“怨歌(えんか)”と呼ばれた。

 「オーラは半端じゃなかった。歌のうまさもあるけど、何しろ全体の雰囲気。彼女が歌った、人の懐に入る歌は、計り知れないパワーがあった」と関係者は証言する。

 71年には歌手・前川清と結婚したが、72年に離婚。79年には突然の引退表明もあった。「このまま歌い続けられない」という藤さんに、石坂氏は引退を勧めたという。

 81年には藤圭以子に芸名を変えて復帰。その後も、何度も復帰と休止を繰り返した。プライベートでは宇多田照實氏と再婚し、83年には一人娘を出産。娘は宇多田ヒカルとして、母と同じ歌手の道を歩み、平成の歌姫として成功を収めた。96年には、照實氏とヒカルの3人で「冷たい月」を「藤圭子 with cubic U」名義で発売したこともある。

芸能界と距離 ただ、照實氏との6回の結婚と離婚や、06年のニューヨークの空港での約4900万円の現金没収事件など、スキャンダルばかりが報じられる側面もあり、近年は芸能界とは距離を置いていた。

 高度成長から取り残された庶民の悲しみを体現した藤さん。「歌にはつらい苦しい彼女の人生が宿っていた。あんな歌手はもう二度と出てこない」。関係者は、不世出の歌姫の死を悼んだ。

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