サンミュージック・相澤秀禎会長が死去

 森田健作、桜田淳子、松田聖子、酒井法子ら多くのスターを育てた芸能事務所・サンミュージックプロダクションの設立者で会長の相澤秀禎氏(あいざわ・ひでよし、本名・相澤與四郎=あいざわ・よしろう)が23日午後10時27分、すい臓がんのため都内の病院で死去した。83歳。神奈川県出身。

 昨年11月にがんが見つかったが、病院から仕事に駆け付けるなど最後までポリシーの「生涯マネジャー」を貫き、死去1週間前には所属の全タレント、社員に向けた“遺言”を残していた。

 相澤氏は昨年11月、定期検診ですい臓と肝臓にがんが見つかった。入退院しながら抗がん剤投与の治療を受けていたが、今年3月25日に再入院、帰らぬ人となった。最期は家族、友人らにみとられ、静かに息を引き取ったという。

 法政大在学中からバンドマンとして活動し、その後マネジャー業に転身。名古屋でバンドスタッフだった西郷輝彦(66)を発掘し、1964年にデビューさせて、スターに育てた。68年にはサンミュージックプロダクションを設立。第1号タレントとして森田健作(63)を、その後も野村将希(60)、桜田淳子(55)、松田聖子(51)、早見優(46)、酒井法子(42)らを次々と送り出した。80年代は毎年のように、日本レコード大賞新人賞の受賞者を輩出した。

 地方出身者は自宅に住み込ませ、朝は一緒にジョギングし朝食を食べるなど、実の親のように愛情を注ぎながら育てた。毎年正月には、一緒に暮らしたタレントたちが自宅に集まり、新年会を開くのが恒例だった。

 「生涯マネジャー」をポリシーとした。晩年も新人を発掘し育てることに力を注いだ。年2回、全国にあるサンミュージックのアカデミーの入所式に必ず出席。新たなスター候補を探した。入院中も病床から事務所に出社するなど、最後までポリシーを貫いた。

 数々の不運にも見舞われた。86年には岡田有希子さん=享年18=の自殺、92年には桜田の統一教会の合同結婚式出席。09年には酒井の覚せい剤事件。相澤氏はそんな危機にも苦しい表情を見せず、前向きな姿勢を貫いた。そんな人生を振り返り、亡くなる1週間前に関係者に残した全タレント、社員へのメッセージがあった。

 「いろんなことがありましたが、全てがとても素敵な思い出になってます。皆さんのおかげで楽しく素晴らしい人生を送ることができました。感謝しきれません。皆さんはこの先もずっと僕の大事な家族です。皆さんと出会えて一緒に仕事ができ、本当に幸せでした。ありがとう」。死期を悟った相澤氏の“遺言”に大勢の“家族”が、涙を流した。

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