浪速の“ご意見番”藤本義一さん逝く

05年、本紙企画で大森一樹監督(左)と対談する藤本義一さん
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 直木賞作家で、テレビの司会者としても親しまれた藤本義一(ふじもと・ぎいち、本名よしかず)さんが30日午後10時18分、肺炎のため、兵庫県西宮市の病院で死去した。79歳。家族によると、1カ月ほど前に自宅で倒れて、入院していたという。堺市出身の藤本さんは、熱烈な阪神タイガースファンとしても知られ、1985年の21年ぶりのリーグ制覇の際には、デイリースポーツ1面の「優勝」題字を手掛けた。

 ユーモアと批判精神にあふれる軽妙な語り口で多くの人を魅了した藤本さんが、静かに天国へと旅立った。

 家族によると、昨年春に肺炎と診断され、治療を続けていたという。1カ月ほど前に体調を崩し、妻の統紀子さんが付き添っていた自宅のトイレで倒れて入院。直後は「オレ、どないなってんねん?」などと会話もできていたというが、徐々に体力がおとろえて声も出せず、筆談しかできない状態に。29日は筆談のペンさえ握ることができなかった。30日も朝から体調が優れない様子で、夜になって眠るように息を引き取った。

 藤本さんは大阪府立大在学中から放送作家として活躍し、ドラマや映画の脚本を手掛けた。65年からは伝説的深夜番組「11PM」の司会を任され、その名を全国に広めた。端正なマスクと魅惑の低音ボイスで視聴者の支持を集め、番組終了までの25年間、司会業を務め上げた。その傍ら小説を書き始め、74年に「鬼の詩」で直木賞を受賞。関西が抱える諸問題に、積極的に発言するご意見番的な存在でもあった。

 大阪出身の関西人らしく、大の阪神ファンとしても知られた藤本さん。自宅では、孫や虎党のお手伝いさんと野球談議に花を咲かせていた。85年のセ・リーグ制覇時には、本紙紙面の優勝題字を担当。本紙では97年4月から10月まで、小説「居酒屋虎々」も執筆した。2003年、18年ぶりの優勝の際には、往年の名投手・村山実さんを回想して「一緒に阪神優勝を語りたかった。権威、権力に抗した彼の投法こそが阪神の象徴である」と猛虎愛をつづっていた。

 藤本さんは、知人が窮地のときには真っ先に連絡を取るなど、気遣いの人でもあった。入院中も周りに心配をかけまいと見舞いは固辞し、「見舞いに来る人にはオレの心情を察して欲しい」と書いたメモを家族に託していたという。関西を代表する人気者は最後の瞬間まで、人から愛され、人を愛し続けていた。

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