中山律子さん逝去 昭和ボウリングブーム火付け役 シャンプーCM「さわやか律子さん」で愛されたヒロイン
1960年代後半から70年代にかけてのボウリングブームを象徴する存在で、日本プロボウリング協会会長も務めた中山律子さんが7日、死去した。84歳。鹿児島県出身。発表した日本プロボウリング協会によると、病気療養中だった。69年に誕生した女子プロボウラー1期生13人の1人で、プロ通算33勝。シャンプーのテレビCMで流れる「さわやか律子さん」のフレーズが茶の間で大人気となり、ボウリングの顔になった。
華やかな「時代の象徴」だった中山律子さんが亡くなった。昭和の高度成長期に空前のボウリングブームを巻き起こし、CM「さわやか律子さん」で、だれからも愛されたヒロインだった。
鹿児島女高時代にはバレーボールで全国大会に出場し、実業団でもプレーした。鹿児島の実家に戻った際にボウリングに出合い、才能が評価されて68年に上京。東京タワーボウリングセンターに勤務しながら、翌年のプロテストに備えた。東京タワーの外階段を展望台まで上り下りして体を鍛え、未来を夢見た。
1期生を決めるテストは30歳の須田開代子さんが1番、26歳の中山さんが2番で合格。順番がそのままライセンスナンバーとなった。「須田さんはリーダーシップがあって完璧な人。私はのんきな性分。2番がぴったり」と話していた。
勝負では譲らなかったが、互いを認め合う仲。そんなライバルの存在が励みだった。須田さんはジャパン・レディース・ボウリングクラブ(JLBC)を設立し、プロとアマの女性ボウラーが集う大会をつくった。57歳の若さで亡くなり、中山さんが「遺志を継ぐつもりで」JLBC会長に就く。大会前夜の懇親会では須田さんの愛唱歌「川の流れのように」をみんなで歌い、在りし日をしのんだ。
70年の第1回全日本女子プロ選手権で優勝し、月例会決勝で女子プロ初のパーフェクトを達成するなど「初物」に縁があった。パーフェクトの試合はプレーに集中するあまり、10フレームで順番を抜かして3投を続けた。対戦相手は後に「中山さんはプロ野球の長嶋茂雄さんみたいな性格。彼女のペースに合わせた」と天性の魅力を語った。
オイルショックとともにブームは去った。レジャーが多様化する中で、ボウリング業界は苦戦する。2004年に日本プロボウリング協会会長に就き、8年間にわたって誰もが楽しめる競技の普及に努めた。昭和を華麗に彩り、人々にさわやかな思い出を残して天国へ旅立った。
◇中山 律子(なかやま・りつこ)1942年10月12日、群馬県草津町出身、鹿児島育ち。鹿児島女高時代はバレーボール選手として国体出場。卒業後、会社員生活を経て、69年の第1回女子プロボウリングテストに合格。70年に女子プロ初の公認パーフェクトを達成するなど通算33勝。2004年日本プロボウリング協会会長に就任。12年から同名誉会長。17年殿堂入り。
