高木美帆が現役引退 五輪メダル通算10個&W杯通算38勝のエースが決断 オランダで「世界オールラウンド選手権を私のスケート人生の一区切りに」

 夏季を含めて日本女子最多の五輪メダル通算10個を誇るスピードスケート女子の高木美帆(31)=TOKIOインカラミ=が4日、世界選手権(5~8日、オランダ・ヘーレンフェイン)を最後に現役を退く意向をインスタグラムで表明した。五輪で金2個を含む通算10個のメダルを獲得し、W杯通算38勝は男女を通じて日本勢最多。輝かしい功績を誇る第一人者が決断を下した。

 絶対的エースが競技人生にピリオドを打つ。スピードスケート界の最前線に立ち続けてきた高木がインスタグラムで「今週末にオランダで開催される世界オールラウンド選手権を私のスケート人生の一区切りにしようと思っていることをご報告いたします」と表明。今回の世界選手権は、短距離から長距離の4種目総合で競うオールラウンド部門にエントリー。詳細は帰国後に説明する考えだという。

 ダンスやサッカーなどでも汗を流してきたスポーツ少女は、4度の五輪に出場するトップアスリートとなった。2010年に15歳でバンクーバー五輪に出場。18年平昌五輪では団体追い抜きで金メダル、22年北京五輪では1000メートルで金メダルを獲得するなど冬季の日本勢で1大会最多となる4個を加えた。

 集大成となったミラノ・コルティナ五輪では3つの銅メダルを獲得した。日本女子では夏季を含めて最多、男子を含めて歴代3位となる五輪通算10個のメダルを手にした。しかし、世界記録を持つ本命の1500メートルは6位に終わり、悔し涙が止まらなかった。

 北京五輪も大きな分岐点だった。日体大時代からともに歩んできた青柳徹教授は「個人的には『北京が集大成で、もういいんじゃないか』というのは北京五輪が終わった後の春先に話した」という。

 それでも、もう一度大舞台を目指したのは雪辱を果たしたかったから。レース当日は、ヨハン・デビット・コーチが新型コロナに感染し不在。外的要因もそろわなかった中での銀メダルは、どうしても高木のふに落ちなかった。青柳氏は「自分の力を出し切ったということであれば、おそらく引退のタイミングだった」というが、求め続けてきた金メダルへ、再び突き進むことを決めた。

 それから4年。ミラノ・コルティナ五輪では表彰台を逃した。しかし、高木は涙を流しながらも「自分の挑戦はこの結果で終わったんだというのを感じている」と結果を受け入れた。山あり谷ありだった苦悩の4年間は「よく頑張ったという局面もあった。気持ちが折れずにここまで来られた」と、目指してきた舞台で出し切った。

 ラストレースを残し、SNS上で発表したのは「私のスケート人生の一区切りとなる瞬間をここまで応援してくださった皆さんとともに迎えたいと考えたから」だという。黄金時代を築いた高木美帆が、リンクに別れを告げる。

 【コメント全文】

 今週末にオランダで開催される世界オールラウンド選手権を私のスケート人生の一区切りにしようと思っていることをご報告いたします。

 これからのことや細かいことは、帰国してから改めて公式の場をお借りしてお話しできたらなと思っています。

 このタイミングでのご報告の理由…もし最後になるならば、私のスケート人生の一区切りとなる瞬間をここまで応援してくださった皆さんとともに迎えたい。と考えたからです。たとえ現地にいなくても、画面の向こうからでも、皆さんの応援はいつも私の支えです。

 このスケート大国オランダで、スケート史上最古の大会、世界オールラウンド選手権が開催されることを心から嬉しく思いますし、あの大歓声の中滑れることをとても楽しみにしています。

 残りの期間も変わらずに、スケートに向き合い続け、高みへ挑みにいきます。

 ◆高木美帆(たかぎ・みほ)1994年5月22日、北海道幕別町出身。15歳で2010年バンクーバー五輪に初出場した。帯広南商高から日体大に進学した。4度出場の五輪は18年平昌で団体追い抜きの金などメダル3個、22年北京で1000メートルの金など4個を獲得。ミラノ・コルティナ大会は500メートル、1000メートル、団体追い抜きで銅三つを加え、夏季を含む日本女子最多の通算メダル数を10個とした。W杯通算38勝は男女を通じて日本史上最多。1500メートルの世界記録保持者。姉は平昌五輪で2つの金メダルを獲得した菜那さん。

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