三原舞依が万感の全日本ラスト舞「幸せいっぱいのスケート人生だった」演技完遂で涙「自分でもびっくりするぐらい涙が…」も最後は笑顔「ウォータープルーフのマスカラでよかった」
「フィギュアスケート・全日本選手権」(21日、国立代々木競技場)
26年ミラノ・コルティナ五輪の最終選考会の女子フリーが行われ、今季限りでの現役引退を表明した22年GPファイナル女王で、SP13位の三原舞依(26)=シスメックス=はほぼノーミスの演技で今季ベストとなるフリー127・86点、合計点190・63点で大会を終えた。
SPに続いて、中野コーチに背中を押されてリンク中央へ。集大成のフリー「ジュピター」にのり3回転ルッツ-3回転トーループを決めると、続く3回転フリップ、ダブルアクセル、3回転サルコーも着氷。後半の3回転フリップ-2回転トーループ-2回転ループ、3回転ルッツからダブルアクセルのシークエンス、最後の3回転ループも踏ん張って着氷した。三原らしく優雅に柔らかく演技を完遂し、万感の表情を浮かべた。演技終えると、氷に膝をついたまま顔をうずめ、感極まった表情で降り注ぐスタンディングオベーションに応えた。キスアンドクライでは笑顔で手で♡マークを作り、観客に感謝した。
演技後は「幸せいっぱいのスケート人生だった。自分でもびっくりするぐらい、前が見えなくなるぐらい涙が込み上げてきた。ウォータープルーフのマスカラでよかったなと」と笑い、「上の方のお客様まで拍手してくださって、すごくうれしくて幸せだった」と噛みしめた。今大会が最後の試合になるかについては「まだ分からない。これから考えます」と話した。
三原は18日の公式練習後に今季限りの現役引退を表明。「今まで18年間スケートができていることに感謝しながら、この全日本で出し切りたい」と語り、今後について「大好きなスケートをちょっとでも長く。競技から離れてしまうとしても、ちょっとでも長く氷の上にいたい。ショーに呼んで頂いたら出たいですし、振り付けも。大好きなスケートに恩返ししたい」と語っていた。
◆三原舞依(みはら・まい)1999年8月22日、神戸市出身。8歳でスケートを始めた。難病の若年性特発性関節炎を乗り越え、16年に全日本選手権で3位。17年世界選手権は5位。19~20年シーズンは体調不良で休養した。22年1月の四大陸選手権で5年ぶり2度目の優勝。同年に初制覇を含むGPシリーズ2連勝。24年全日本選手権は棄権した。趣味は音楽鑑賞とけん玉、ダイヤモンドアート。157センチ。





