朝潮さん悲喜こもごもの67年の人生 軽妙な語り口で愛嬌たっぷり 朝青龍の度重なる不祥事に苦悩も
大相撲の元大関朝潮で大きな体と陽気な性格から「大ちゃん」の愛称で親しまれた長岡末弘(ながおか・すえひろ)さんが死去したことが3日、日本相撲協会関係者の話で分かった。67歳だった。
死去していたことが判明した元大関朝潮の長岡末弘さんは悲喜こもごもの人生を67歳で終えた。軽妙な語り口、愛嬌(あいきょう)たっぷりの笑顔に猪突(ちょとつ)猛進の出足で人気が高かった現役時代。師匠としては弟子の横綱朝青龍に振り回され、悩みを覆い隠すやせ我慢の苦笑いが目立った。
力士として全盛期の体重は180キロ前後と丸くて大きく、陽気なキャラクターと相まって愛称の「大ちゃん」がよく似合った。本人によると、小学校の同級生に同姓の男の子がおり「その子は体が小さく、俺はめちゃくちゃでかかった。大きい方の長岡。それで大ちゃんというこっちゃ」と豪快に笑い飛ばした。
高知県室戸市出身。近大から鳴り物入りで高砂部屋に入門した。厳格だった師匠の元横綱朝潮の下、ハワイ出身で巨漢の高見山や突き、押しの富士桜の胸に何度もぶつかり、弟弟子の小錦とも競い合った。
高砂部屋へ何度も出稽古した横綱千代の富士は「朝潮の強い当たりと小錦のパワーに耐えたことで、下半身が鍛えられた」と生前に述懐していた。頭で当たるぶちかましは額が割れて頻繁に流血する激しさだった。ただ、守勢に回ると淡泊で、優勝決定戦は3戦全敗。精神面の弱さが響き、最高位は遠かった。
現役引退後は44歳の若さで日本相撲協会理事に就任し、広報部長にも抜てきされた。しかし、2003年初場所後に横綱へ昇進した弟子の朝青龍が度重なる不祥事を起こし、50代から人生は暗転。稽古中の上がり座敷で新聞を長時間読みふける姿が「無責任」と批判され「力士に伸び伸びとやらせたいだけなのに…」と自主性を重んじる指導方針が壁に当たった。関係者によると、近年は車いすで出かけることが多かったという。会心の「大ちゃんスマイル」は戻らなかった。





