福岡堅樹、何度も変わった将来設計を経て原点へ「信頼を与えられる医師に」

 19年ラグビーW杯の日本代表8強入りに貢献、7人制で行われる東京五輪を目標に据えていたWTB福岡堅樹(27)=パナソニック=が14日、オンラインで会見を行い、7人制日本代表引退を発表。将来の目標に掲げていた医師の道に進む。志したきっかけは高校時代。それから何度も“将来設計”の変更を経て、原点に戻る決意をした。

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 医師になる-。W杯出場より先に立てた目標だった。開業医の祖父、歯科医の父を持つ。身近に医師の存在があり、目指す下地はあった。それが具体的な目標に変わったのは福岡高時代。両膝の手術を担当した医師の影響だった。

 「直接、対人で接したいなと。自分自身が、手術してくれた先生を尊敬したように、技術的なことだけでなくメンタル的なところも、『この人に従っていれば、絶対に戻れるんだ』という信頼を与えられる人になりたいという思いがあるので、直接患者さんと触れ合える臨床医でありたいと思います」

 ラグビーの日本代表合宿に参考書を持参することもあった。ラグビーでも世界的なレベル。そんな道を閉ざして医師を目指す。W杯前には、東京五輪との2大会後に引退することを表明していた。その当時、こう話していた。

 「もともとそっち(医師)を優先していたというのが一つあります」

 「本当に素晴らしいタイミングでW杯、五輪が日本で開催される。ゴールが決まっているから、今、頑張れるっていう自分がいるので。あんまり長いこと、体力もあんまりないので、目標なくずっと同じことを繰り返すのが得意ではない」-。

東京五輪の1年延期は、“将来設計”に大きく影響した。

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 これまでは“将来設計”は何度も変わってきた。医師になる目標を遠回りさせたのがラグビーの才能だった。福岡高3年時の花園での勝利によって得た自信で「上を目指したいと思えた」と大学で続けることを決めた。ラグビー部のある筑波大医学群(医学部に相当)を受験したのも、2つの目標を両立できるから。だが、一浪の末、前期2次試験で不合格。悩んだ末に医師の道をいったん保留することを決意し、同年の後期試験で筑波大の情報学群に合格した。

 ラグビーは大学で一区切り-そんな青写真も、環境が変更させた。13年、大学2年時に日本代表エディー・ジョーンズヘッドコーチに才能を見いだされて代表入り。それを「(19年)W杯までラグビーを続ける道を選ぶきっかけになった」と言う。道は、世界へと広がった。そして、19年。描いた通りの結果を出した。

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 1年延期した東京五輪を待たず、医師の道へ-。これ以上の“将来設計”の変更は、福岡の中になかった。この日の会見で、「五輪の延期があるんじゃないかという可能性が浮上した段階でどうするか考え始めていました。決まった時はこの挑戦は辞退すると決めていました。いちばん後悔しない道をいきたいとう気持ちが強いです。決めた引退のタイミングを先戻しにしたくない」と語っている。

 遠回りして戻る、本来の医師への道。これまでの福岡を後押ししてきた、祖父の言葉があった。『才能を持って生まれてきた人間はそれを社会に還元する責任がある』-。「文武両道でやってきたので、その言葉で両方を目指したいという思いをより強くした」と語っている。原点に戻った“将来設計”。次の人生は、医師の道でその才能を社会に還元する。

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