【東京へ駆ける・高橋尚子さん(2)】小出監督に会えたことが一番大切な価値のあること

 東京五輪の企画「東京へ駆ける」に、3日連続で登場する00年シドニー五輪マラソン女子金メダリストの高橋尚子さん(46)の2回目。シドニーをはじめ、現役生活における思い出のレースなどを振り返るとともに、選手時代に長きにわたって師事し、3月末で指導者を勇退した佐倉アスリート倶楽部の小出義雄代表(80)への思いを語った。

  ◇  ◇

 -忘れられないレースは、やはりシドニー五輪になるか。

 「それがそうではないんです。シドニーで人生が変わったことは間違いないし、映像としてテレビで見ることも多いです。ただ、余力を残さなかった充実感、満足感があった会心のレースは1998年の(バンコク)アジア大会になります。気温はスタートの時点から25度を超え、非常に暑く、湿度も最後は90%を超える中、思い切ったレースができました。自分の記録を2時間25分から21分へと飛躍させられました。五輪を狙えるかなと感じ、初めて五輪へのレールがつながったかなと思える瞬間でした」

 -バンコクアジア大会の思い出は。

 「自分の殻を破れ、自信を持てたレースでした。当日、朝ご飯が届かないアクシデントがあり、日本から持って行った“2分でチン”のご飯をポットのお湯で温めて、8割ぐらい食べて出るだけでした。でも、まったく動揺しなかったし、精神的にもすごくたくましくなったな、という部分もあったので印象深いです」

 -シドニー五輪の思い出は。

 「今までやってきたことを披露する、舞台みたいなイメージでした。やることは全部やってきたから、あとはそれを見せるだけだと。ただ、初めから負けるつもりはまったくありませんでした(笑)。勝つ気満々でいっていました。作戦とかはまったく考えていなくて、小出監督にもレース展開について一言も言われていませんでした。まっさらで真っ白な状態。どんな絵の具がきても、臨機応変に自分で描いていくような感じです。自由自在にコントロールできるような精神状態と体の仕上げになっていました。あまり緊張していなかったし」

 -五輪の時の心境はどうだったのか。

 「優勝して、次の日の朝に遅刻したと思って起きて現場にいったらだれもいなかったんです。どうしてだろう?と考えた時に、初めて五輪が終わったことが分かりました。それぐらい五輪は特別ではありませんでした。終わったら、また次の練習をしないと、と思っていったのに、そうか、もうやらなくてもいいんだというのが分かりました。でも、一人で集合してしまったし、準備もしたから走ろうと思って、五輪の次の日も走りました。本当に、ただの一日だったんだと感じました」

 -小出代表が指導者を勇退した。

 「今の私があるのは小出監督のおかげです。五輪で金メダルを取れたのも、(01年のベルリンで当時の)世界最高記録を出せたのも、小出監督がいなければ絶対にできませんでした。東京五輪で指導する姿を見たかったし、そういう方もたくさんいたと思います。でも責任感の強い方なので、この一年は体調を崩すこともあった中、選手が自分の人生を変えて自分のところに来てくれた中、それを全うできない、きちんと責任を果たせないと思った時に、監督なりのけじめをつけたんだと感じています。すぐに監督のところに会いに行きました」

 -何か言葉をかけられたか。

 「『おまえはよく走ったな。夢をかなえてくれてありがとう』と。私は『私の今があるのは監督のおかげです。私は五輪で金メダルを取ったことよりも、世界記録を出したことよりも、小出監督に会えたことが一番大切な、価値のあることです』と伝えました。もう一度、改めてお礼を言いました」

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