【72】聖地・甲子園の土守 球児の思いまで受け止めるグラウンド職人

 「日本高野連理事・田名部和裕 高校野球半世『記』」

 聖地と呼ばれる阪神甲子園球場には歴代素晴らしいグラウンドキーパーがいる。

 戦後では、故藤本治一郎さんだ。1940年に阪神電鉄に入社、79年から球場の管理部門が阪神園芸(株)に移った。

 無口な方で近寄りにくい雰囲気もあったが、時に表情を崩して接してくれるときはいろいろご苦労の一端を聞かせていただいた。

 84年に文化勲章を受章され「甲子園の土守」としてまさに神様のような存在だった。藤本さんの実家は地元の半農半漁で、日和見は卓越していた。天気の怪しいときは当時の佐伯達夫会長もまず藤本さんに「どうでっしゃろなぁ」と聞いていたのを思い出す。

 日程が限られている選抜大会では随分無理をお願いした。朝まだ暗いうちから長靴姿で球場にやってこられ、すがるような気持ちで顔を合わすと「何とかなりまっしゃろ」とめったに悲観的なことは言われなかった。

 藤本さんの技と心を引き継いだのが辻敬之助さんだ。外野の芝生が年中青いようにと、冬芝と夏芝を入れ替える技術を完成させた。

 辻さんも藤本さんの上をいく職人肌で、正直接し方は難しかった。が、そんな辻さんが示してくれた心意気で忘れられないことがある。いつだったか、北北海道の代表校が、夏の選手権大会で第4試合を戦っていたが、途中から降り出した雨で泥だらけになって敗退した。

 もちろん試合後の「砂取り」はできない。

 スタンド下の通路で取材が続いていたころ、なんと辻さんが一斗缶を抱えてやってきた。

 「田名部さん!これチームにやっとくれなはれ」と、ストックの土を持ってきてくれた。

 責任教師にお渡しすると「なんとお優しい」と感激されていた。後日先生からお礼状もいただいた。

 このお2人の土守を継承しているのが現在の金沢健児さんだ。

 僕も大会中は大体午前5時ごろには球場に詰めていた。当日の天気や交通機関の運行状況を確認した後、グラウンドに出る。

 夏でもまだ薄暗い。その中で一塁側ベンチ横から人工芝部分を過ぎて土の部分に出て、手のひらを土に当ててみる。湿り気があるか、しっかり乾いているか、をみる。

 金沢さんに教わったのは、前日天気でもそれまでの雨量次第で夜のうちに下から水分が上がってくるという。

 朝の湿り気はグラウンドの状態を見るのに大切な時間帯だ。

 そのあと金沢さんに「今日は何点くらい?」と尋ねる。当日の降雨が予想されるときは、この状態を判断の材料にして押せるか、中止もありうるかを考える。近年は大会本部に最新の科学技術を導入した天気情報を駆使している。

 もちろん甲子園の水はけは抜群だが、実際は土の保水状況が決め手になる。だから常にグラウンドの保水状態をインプットしておくことは重要だ。

 阪神甲子園球場は2007年から3年かけてリニューアル工事が始まった。オフになるとグラウンドに重機が入って金沢さんたちは通常のオフの作業ができなくなる。そんな時、「出前甲子園」を提案してくれた。

 つまり近畿一円で希望があれば高校のグラウンドを整備してあげたいという提案だ。もちろんもろ手を挙げて歓迎したが、直接整備に行けない遠隔地の学校にもぜひ「甲子園の土守」の基本の一端を教えてほしいとお願いした。日本高校野球連盟のホームページに寄稿してもらった。

 その時金沢さんが寄稿してくれた「グラウンドの整備方法」は、今もそのまま連盟のホームページに掲載されている。グラウンドの手入れは野球技術向上の第1章だ。

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